ホルクハイマー=アドルノ『啓蒙の弁証法』(岩波文庫)

第5章「反ユダヤ主義の諸要素―啓蒙の限界」

「ユダヤ人への迫害は、迫害一般と同様に、このような秩序と切りはなすことはできない。この秩序の本質は、たとえ時折隠れることがあろうとも、暴力なのであり、それが今日正体を現してきているのだ。」(354.8)

 

スケープゴートとしてのユダヤ人。

「反ユダヤ主義が支配の側にとって好都合なのは明白であろう」(355.b1)

 

大衆は自由主義体制において恒常的に不満を持つ。というのも、

「何の力もないところでも幸福を約束するというのが、人権というものの本質なのだ」(359.2)。大衆は幸福への欲求への抑圧を内面化する。それは反対に幸福への憎悪となって現れる。(文化産業における観客を想起)

 

ユダヤ人憎悪の諸相。

経済的理由

汗して働かずに儲けるものとしての「ユダヤ人」生産の領域で行われる搾取をユダヤ人に帰する。

宗教的理由

最も伝統的な反ユダヤ主義。キリスト教徒からのユダヤ人嫌悪。

もっとも強力な理由=「病的憎悪」。

「この病的憎悪の内容を概念に高め、それが無意味なものであることを悟るかどうかに、反ユダヤ主義からの社会の解放がかかっている。」(373.3)

「人は自分が恐れる当のものによって魅了される。」(379.11)

「彼ら[反ユダヤ主義者]はユダヤ人を我慢することができない。それでいて絶えずユダヤ人の真似をしてみせる。」(380.11)

 

人間に備わる「下等なもの」への憧れ(cf. 嗅覚のもつ両面性)、「下等なもの」へと同化しようとする欲求が反ユダヤ主義をもたらす。たとえば、反ユダヤ主義者の「儀式崇拝」は積極的に古代的な野蛮の模倣を行っているのである。自然模倣としての「ミメーシス」の「ミメーシス」(オデュッセウスの自然模倣、ジュリエットの儀式めいた享楽を想起)。

「ミメーシスのミメーシス」は陳腐化した「ミメーシス」である。それは自己保存のための自己破壊という役目を負わされた道具的なそれであり、その限りで「自己」をまもろうという欲望にとらえられている。

 

投影としての「ミメーシスのミメーシス」

「ユダヤ人を十把一からげにして、禁断の魔術とか供血儀礼とかいう非難が投げかけられる。告発であるかに偽装しつつ、文明に土着している者たちの意識下にひそむ、ミメーシス的な犠牲行為へ帰ろうとする欲望は、ようやくそれ自身のうちで、復活を祝う。」(384.6)

ユダヤ人は歴史を通じて、自らが追放してきた「野蛮」に擬せられた。これは「文明」化された人々がいだく「自然」への恐怖が投影されたものであるが、ひとびとは「自然」を恐れつつ同時に欲望してもいる。この欲望が現れ出たのがナチスドイツである。

「反ユダヤ主義は誤れる投影作用に基づいている」。(386.5)環境に自己を似せるという意味での本来のミメーシスとはことなり、自己に環境を似せる。 このあり方はちょうどパラノイア患者の症状に似ている。「発現しようとする内的なものを外的なものへと移し変え、最も身近なものにも敵の烙印を押す」 (386.10)

あくまでも世界と対峙する存在としての主体を護ってゆくことが大事である。反ユダヤ主義の投影は「反省」を欠いている。「主体が客体から受け取ったものを、もはや客体に返すことができなくなることによって、主体自身はまずしくなる。」(391.3)通常のミメーシスは自然摸倣によって、自然的な力を手に 入れようとする呪術的行為である。しかしここでは、パラノイア患者の自己保存に用いられる(「自己保存のための自分だけの図式」(402.4))。なおかつここで保持される「自己」は空虚なものでしかない。(「反省」:主体と世界のずれを自覚すること?)

 

パラノイア患者の「まなざし」はひとびとを「個体」として識別しない。

それは「良心を呼びさますのではなく、あらかじめ責任を問う」(394.14)「貫く視線と見過ごす視線、催眠術的な視線と不注意な視線、それらは似たようなものだ。どちらの場合でも主体は抹消されている。」

 

精神分析学によれば。

病的投影とは「社会によってタブーとされた主体の情動の客体への転移」(395.15)。そして「外敵」に投影された敵意にたいしての「反作用」「正当防衛」として、実際の暴力が行われる。

パラノイア的心性は一体化を求める。「一体となった恍惚の陶酔の中では、共同体一般につうじる傾向として、関係性への盲目とパラノイア的メカニズムとは、 [他者への]恐怖への可能性を温存しつつ、支配可能なものとなる。」(404.8)それは「種の自己保存」のためのメカニズムである。そこから秘密結社が生まれる。「確立された集団は他人に対してはいつもパラノイア的態度をとる」(404.15)。「差異への怒り」。

 

パラノイアは世界に浸透してゆく。

教養の堕落。生半可な教養が陳腐な図式で世界を理解しようとする。

「科学的なふりをしながら、思考力を奪い取る、さまざまの宿命論的宗教団体や万能薬」などなど。

 

現状分析をまとめ的に。

「個々人がその都度なにをなすべきかを、個人は、もはや良心と自己保存と衝動との苦渋に充ちた内的弁証法をつうじて、苦心してかち取る必要はない。何をなすべきかは、就業者としての人間にとっては国家的な管理に至るまでの諸集団の階層秩序によって決定されており、プライベートな領域では大衆文化の図式に よって決定されている。」(415.14)