吉本隆明『言語にとって美とはなにか I』角川ソフィア文庫 

第I章 言語の本質

本章では言語が人間の中から現れる過程を、言語の「自己表出」と「指示表出」の二つの軸から探求する。

ランガー、マルクス、ブイコフスキー、エンゲルス、カッシラア(カッシーラー)、マリノウスキー、らの言語哲学をさらった後、吉本は次のように人間が言語を得たという仮説を立てる。

(1)「無言語原始人の音声段階」(p.45(図))「音声は現実界(自然)をまっすぐに指示し、その音声のなかにまだ意識とはよびえないさまざまな原感情が含まれていることになる」(p46)

(2)「音声が次第に意識の自己表出として発せられるようになり、それとともに現実界におこる特定の対象にたいして働きかけをその場で指示するとともに、 指示されたものの象徴としての機能をもつようになる段階がくる」(p46)[これによって]「類概念を象徴する間接性といっしょに、指定のひろがりや厚さ を手に入れることになる」(p47)

(3)「音声はついに眼のまえに対象をみていなくても、意識として自発的に指示表出ができるような段階だといえる」「ここで有節音声は、はじめて言語としてのすべての最小条件をもつことになる」(p47)

「有節音声が言語としての条件をみたすようになる(3)の段階は、どうして可能になるのだろうか」(p47)

「現実的な反射が自己表出としてはじまるようになると、音声は意識に反作用をおよぼし心の構造を強化していった」(p48)「現実的な対象にたいする反射 なしに、自発的に有節音声を発することができるようになり、それによって逆に対象の象を指示するようになる」(pp48-49)「有節音声は自己表出され たときに、現実にある対象との一義的なむすびつきをはなれ、言語としての条件をぜんぶそなえた。表出された有節音声はある水準の類概念をあらわすように なった。また自己表出はつみかさねられて意識をつよめ、それはまた逆に類概念のうえに、またちがった類概念をうみだすことができるようになる」(p50)→ 自己表出から指示表出へと言語が拡大される

「言語が知覚とも実在ともちがった次元に属するのは、人間の自己意識が、自然意識とも知覚の意識とも対象としてちがった次元にあることの証左だといえる。 このように言語は、ふつうのとりかわされるコトバであるとともに、人間が対象にする世界と関係しようとする意識の本質だといえる」(p52)

「言語は自己表出の面から、(略)それぞれの時代がもっている意識は言語が発生した時代からの急げきなまたゆるやかなつみかさなりそのものにほかならない。また逆にある時代の言語は、意識の自己表出のつみかさなりをふくんで、それぞれの時代をいきてゆく」(p53)

「指示表出としての言語は、あきらかにその時代の社会、生産体系、人間のさまざまな関係、そこからうみだされる幻想によって規定される」(p53)

「言語の表現である文学作品のなかにわたしたちがみるものは、ある時代に生きたある作者の生存とともにつかまえられて、死として亡んでしまう何かと、人類 の発生からこの方、つみかさねられてきた何かの両面で、これは作者が優れているか凡庸であるかにかかわらないものだ」(p53)

「言語の表現を自己表出の面でつよめた文学表現と、指示表出の面でつよめた生活語との水準をひとつの線でつなぐことはできない」(p53)

「言語の音韻はそのなかに自己表出以前の自己表出をはらんでいるように、言語の韻律は、指示表出以前の指示表出をはらんでいる」(p59)

自己表出性と指示表出性のアクセントの違いはp70の第4図に概説できる。

 

第II章 言語の属性

1 意味

「意味とは何かという問いが根柢的なものになる」(p75)

「言語の意味がわからないというとき、どんなことがふくまれているか、という逆の問題から意味に接近してみる」(p75)

(1)「言語の自己表出の歴史とは了解できながら、指示表出として死滅している」(p80)「それでもこの詩の情感が、いまも何かをあたえるのは、自己表出面から現在に連続する流れが感じられるからだ」(p76)

(2)「自己表出の励起にともなう指示表出の擬事実への変形」(p80)「言語が、自己表出を極度につらぬこうとするために、指示表出を擬事実の象徴に転化させたものとしてみるのがいいのだ」(p78)

(3)「自己表出のひろがりによって指示表出がつつまれている」(p80)「すでに意味は擬事実をさすことさえ拒んでいて、拒むことにひとつの当為がみと められる」「言語はここでは、指示表出語でさえ自己表出の機能でつかわれ、指示性をいわば無意識にまかせきっている。言語はただ自己表出としての緊迫を もっているだけだ」(p79)

「言語の意味とは意識の指示表出からみられた言語の全体の関係だ」(p89)

「言語の意味をかんがえることは、指示性としての言語の客観的な関係をたどることにちがいないのだが、このように指示表出の関係をたどりながら、必然的に自己表出をもふくめた言語全体の関係をたどっていることになる」(p90)

「こういった意味のうねりや、指示性の関係としてはたどれないのに、なお、なにかを意味しているような表現にぶつかるとき言語の意味がたんに指示性の関係 だけできまらず、自己表出性によって言語の関係にまで綜合されているのを、はじめて了解するのだ」「言語を媒介として世界をかんがえるかぎり、わたしたち は意味によって現実とかかわり、たたかい、他者との関係にはいり、たえずこの側面で、変化し、時代の情況のなかにいる、といってよい」(p92)

 

2 価値

「指示表出と自己表出を構造とする言語の全体を、自己表出によって意識からしぼり出されたものとしてみるところに、言語の価値はよこたわっている」「人間 の意識がこちらがわにあるのに、言語の価値は、あちらがわに、いいかえれば表現された言語にじっさいにくっついて成り立つ」(p101)

「意識の自己表出からみられた言語の全体の関係を価値とよぶ」(p102)

「ある言語を価値としてみるか、意味としてみるかは、ソシュールのいうようにまったくちがうが、でもたがいに相補的なものだといえる」(p104)

「古典語や古典文学は、その意味を理解するために、意識的に予備知識をさぐることがひつようにもかかわらず、その価値はわたしたちになお生々しく通じるの は、価値が意識発生いらいのつみかさなりとして連続した意識の自己表出にかかわり、しかもそのつよさにかかわる側面をもつからだといえる」(p106)

「言語の表現はわたしたちの本質力が現在の社会とたたかいながら創りあげている成果、または、たたかわれたあとにのこされたものなのだ」(p107)

 

3 文字・像

「言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめてほんとの意味でうまれたのだ。文字にかかれることで言語の表出は、対象になった自己像が、じぶんの内ばかりではなく外にじぶんと対話をはじめる二重のことができるようになる」(p110)

「もしも言語が像を喚び起したり、像を表象したりできるものとすれば、意識の指示表出と自己表出とのふしぎな縫目に、その根拠をもとめるほかない」(p114)

「言語の像は、もちろん言語の指示表出が自己表出力によって対象の構造までもさす強さを手にいれ、そのかわりに自己表出によって知覚の次元からははるか に、離脱してしまった状態で、はじめてあらわれる」「あるいはまったく逆であるかもしれない。言語の指示表出が対象の世界をえらんで指定できる以前の弱さ にあり、自己表出は対象の世界を知覚するより以前の弱さにあり、反射をわずかに離れた状態で、像ばかりの言語以前があったというように」(pp118- 119)

 

4 言語表現における像

「言語の美のもんだいは、あきらかに意識の表出という概念を、固有の表出意識と〈書く〉ことで文字に固定せられた表現意識との二重の過程にひろげられる」(p120)

「このときわたしたちは、たんに意味としてではなく、価値としてこの表現をたどっている」(p123)「そしてこの像をうかべるとき、わたしたちは、この表現をたんに意味としてではなく、価値としてたどっているのである」(p124)

 

第III章 韻律・撰択・転換・喩

1 短歌的表現

「言語表現のうちで抽出される共通の基盤は、表現としての韻律・撰択・転換・喩に分類すればいままでの言語の表現のすべての段階をつくすことができる」(p128)

「短歌は言語が指示性の根源である韻律と不可分のかたちで表出されたものだ」(p132)

 

2 詩的表現

「喩は言語の表現にとって現在のところいちばん高度な撰択で、言語がその自己表出のはんいをどこまでもおしあげようとするところにあらわれる」(p160)

「たえず〈社会〉とたたかいながら死んだり、変化したり、しなければならない指示表出と交錯するところに価値があらわれ、ここに喩と価値とのふしぎなななめにおかれた位相と関係があらわれている」(p160)

 

3 短歌的喩

「俳句を読むことは作者の実体をあらわす言語にゆきつく以前の懸垂状態のまま、音数律に美的構成を感じるかどうかという特殊な詩型の問題なのだ。これは短歌のばあいでも別ではない」(p162)

「現代の短歌の喩の実体がどうなっているかをみるばあい、わたしたちは音数律としてあらわれた日本語の指示性の根源が、ふつうかんがえられる喩をどれだけ変形させ、どれだけ多方面につれさるかというもんだいにゆきつかざるをえない」(pp162-163)

 

4 散文的表現

「言語の表現の美は作者がある場面を対象としてえらびとったということからはじまっている。これは、たとえてみれば、作者が現実の世界のなかで〈社会〉と ひとつの関係をえらびとったことと同じ意味性をもっている。そして、つぎに言語のあらわす場面の転換が、えらびとられた場面からより高度に抽出されたもの としてやってくる」「そのあとさらに、場面の転換からより高度に抽出されたものとして喩がやってくる」(p182)

「韻律をいちばん根のところにおいて、場面の撰択をつぎにやってくる表現の段階とし、さらに、場面の転換をへて、一番高度な喩のもんだいにまで螺旋状にはせのぼり、または、はせくだる表現の段階をもっているといっていい」(p182)

 

第IV章 表現転移論

第I部 近代表出史論(I)

1 表出史の概念

「ひとつの作品から、作家の個性をとりのけ、環境や性格や生活をとりのけ、作品がうみ出された時代や社会をとりのけたうえで、作品の歴史を、その転移をか んがえることができるかということだ。いままで言語について考えてきたところでは、この一見すると不可能なようにみえる課題はただ文学作品を自己表出とし ての言語という面でとりあげるときだけ可能なことをおしえている。いわば、自己表出からみられた言語表現の全体を、自己表出としての言語から時間的にあつ かうのだ」(p194)

「ある時代のある作品は、表出史としてみようとするとき、いつも二重の構造をもっている。ひとつは文学体で、ひとつは話体だ」(p195)

 

2 明治初期

「指示的な体験と対句的な習慣の意識が、中心のほうへ抽出されてあたらしい文学体をつくる」「言語はまずこの過程を指示性と指示性とのぶつかりあいの密度 をたかめることによって、はじめる。いっぱんに、話体は習慣的な美文とおなじように、かならず美的な中心を枝葉から抽出してつぎの文学体にまで結晶しよう とする。それといっしょに話体あるいは習慣的な成句の表現を、別の流れとして保存しながらうつりかわってゆく。これは言語が指示性や習慣につかえる日常語 の世界から、たえず自己表出につかえる文学体の世界へ凝縮するとともに、日常の会話としてべつの流れをつくってゆくことと対応している」(p201)

「逍遥に痕跡をとどめている話体小説からの抽出過程は、もはや「浮雲」のもつこの内的描写の部分ではまったくとりはらわれる」(p207)

「いわば普遍的な拡大鏡をつきつけられたようにその表現は話体から突出する。作者の位置が明晰であるためこころからじぶんを感情移入させることができている」(p209)

 

3 「舞姫」・「風流微塵蔵」

「当世書生気質」から「浮雲」へ表出がうつったことは、話体をもとにおいてその美的な中心を文学体の方へ抽出する過程をすすめたことになる」(pp209-210)

「表現のうつりゆきは時代によってそのあり方がちがうが、基本的に想定できるのは、文学体から話体への〈書く〉という手つづきによる下降と、話体から文学への〈書く〉という手つづきによる上昇だといえる」(p211)

「「舞姫」は、美文調から表現の話体へ下降しながらちかづいてゆく過程を、ほとんど完全になしとげたものだった」(p212)

「自己表出としての言語が前代までつみかさねられた尖端にある美文体を、難なくうけいれることで「舞姫」はいわば伝統のたすけをかりて「浮雲」にある要素のすべてを、それよりも完璧なかたちで備えることができた」(p215)

「円朝の表出は話体から文学体の方へ向って自立しているのにたいし、露伴のこのところは文学体から話体の方へ向って自立しているものだ」(p220)

「ここにある言語は指示性を話体の次元においたまま自己表出として彫りの深さがつよく抽出されているため、その励起の高さが振幅のせまさとゆきちがってつよい像をみちびいている」(p221)

 

4 「照葉狂言」・「今戸心中」

「わたしが、ここでおもいえがいているのは、話体から上昇して文学体にむかおうとする傾向を一つの極におき、文学体から下降して話体にはいろうとする傾向 を他の極として、このあいだに、文学体からさらに上昇して未知な文学体へと自己表出を高めようとする傾向と、話体からさらに話体を拡散しようとして通俗小 説に入ってしまうものと、話体として持続的に芸術性をたもとうとするものとを、おりまぜて、ある時代的な言語表現の空間をつくっている総体の像だ」 (p222)

「鏡花はうたがいもなく文学体を底辺においているので、紅、露二家のような話体を底辺にした作家とちがっている」(pp222-223)

 

5 「武蔵野」・「地獄の花」・「水彩画家」

「話体は急速に文学体のほうへはせのぼろうとし、文学体は急速に話体へ下降しようとしてその矛盾が意味をつよめているのだ」(p229)

「近代表出史で自然主義への入口が劃期的だとすれば、前代の文学体と話体との分裂が、あとをもとどめないほど煮つめられた点にあった」(p232)

 

第II部 近代表出史論(II)

1 自然主義と浪漫主義の意味

「表出史的にみれば、自然主義の開幕の時期が、まさに文学者たちに多様な指示表出の意識を開花せしめた時期であったという点にこそ重要な意味があった」(p235)

「「破戒」や「蒲団」が、もし表出史的に意義をもつとすれば、あたらしい段階で、話体小説へ下降する過程を、同時代にうながす原動力になった点にあった」(p239)

「一方の極に「破戒」や「其面影」や「蒲団」をおき、一方の極に「千鳥」や「婦系図」をおいてみると、日露戦争の時期の言語空間の幅と高さをおもいえがく ことができる。そして、言語空間の幅としての指示表出のひろがりと多様さに、明治末の社会的なもんだいが文学のなかに反映される姿があった」(pp239 -240)

「あたらしい文学体と話体とがより高次な段階で分離される傾向を象徴した。注目すべきことは、この時期の文学体と話体とがふたつとも指示意識の差異によっ て分離をめざしたことで、作家たちは主題と構成すべき現実とのかかわりあいをどこにえらぶかをめぐって、それぞれの独自さを形づくっていった。それは、自 己表出と指示表出とのいずれに重点をおいて作品を形成するかによって分離されたものではなかった。(略)〈自然主義〉と名づけようが、何となづけようが、 その影響のいちばんおおきな源泉は社会そのものの構成の変貌にあったといえる」(p245)

 

2 「それから」・「ヰタ・セクスアリス」

「[「それから」は]文明開化の近代の膨張に彷徨をよぎなくされた知識と生活の運命を象徴するドラマなのだ。(略)漱石の現実社会と相渉るくらい奥があり、「それから」のなかに自己表出の意識として中心的にこめられている。文体はそれを証明しているとおもう」(p252)

「鷗外の文学体から話体のほうへ下降する過程は、また、漱石のばあいとは逆な意味で、自然主義文学運動の地ならしがどうしても必要だったと思える」(p253)

「鷗外の「ヰタ・セクスアリス」はあきらかに〈私〉小説のはしりだ」(p256)

「じぶんの体験そのものを素材としながら、観念の水準を現実のほうへ下降させて合致させようとする話体として成り立っている。そこから〈私〉性があらわれたのだ」(p257)

 

3 「網走まで」・「刺青」・「道草」

「「網走まで」はあたらしい文学体を、「刺青」はあたらしい話体をさしだした」(p258)

「じぶんの体験を素材にしながら、作中の〈自分〉を高みにうちあげることができるという志賀直哉の表出力が、たとえば花袋のさまざまな作品の平板さにくらべて立体感をあたえている理由だといえる」(p260)

「表出史としてみれば、谷崎の初期作品は、ほとんど文学としての概念を放棄したとおもわれるほどに話体にむかって表出意識を下降させたという点に特徴があった」(pp261-262)

「谷崎の話体は本質からの、それ以外に何もない話体として成り立っている」(p262)

「この[鷗外の]歴史小説の過程は、いちどかたいコンクリートのような話体にまで下降し、そこに身をよせた鷗外が独自の方法で文学体のほうへ上昇する努力にほかならなかった」(p264)

「鷗外が史伝小説によってたどった過程を、漱石は「彼岸過迄」、「行人」、「こころ」、「道草」によってくぐった」(p265)

「「道草」をながれているのはナマの日常的な時間ではなく、まぎれもない表出の時間だ」(p268)

 

4 「明暗」・「カインの末裔」・「田園の憂鬱」

「芥川の歴史小説によって鷗外の史伝小説の話体は文学体へ上昇する過程へはいる」(p275)

「「明暗」は「道草」の文学体をさらに高みにひっぱりながら話体を融和させた作品であった」

(p277)

「「明暗」ではこの日常の事実とそれにあたえられるメタフィジカルな意味とが話体と文学体の頂点が融けあうことであらわれたというべきだ」(p278)

「ここには[「カインの末裔」と「田園の憂鬱」には]資質はちがうが、自己表出を、現実の基盤とはまったくべつのところで仮構しようとする試みがある」(pp279-280)

 

第III部 現代表出史論

1 新感覚の意味

「個人の存在の根拠があやふやになり、外界とどんな関係にむすばれているかの自覚があいまいで不安定なものに感じられるようになると、いままで指示意識の 多様さとしてあったひとつの時代の言語の帯は、多様さの根拠をなくしてただよってゆく。〈私〉の意識は現実のどんな事件にぶつかってもどんな状態にはまり こんでも、外界のある斜面に、つまり社会の構成のどこかにはっきり位置しているという存在感をもちえなくなる。こういう情況で言語の表現はどこにゆく手を みつけだすだろうか」(p281)

「解体にひんし、均質化につきあたった〈私〉意識が、まずみつけだした通路は、文学の表現の対象になるものを主体のほうからすすんで平準化し、均質にならしてしまうことで、現実の社会のなかでの〈私〉の解体を、表現では補償しようとすることだった」(p282)

「人間と自然とは、その自然が建物や器械のように人工的なものであれ、草や樹木のような自然なものであれ、まったく異質だということはわたしたちが現実の 社会にあるとき暗黙のうちに前提にしている」「だが表現の世界をどんなことでもあるしおこりうる想像の全球面とかんがえるとかならずしもこんな確かさは前 提にはならない」(p283)

「そういう[横光の]表出の根源には解体してしまった〈私〉の意識からは対象は自然であれ人間であれすべて交換可能な相対性にすぎないという認識がひそんでいた」(p286)

「平準化されて解体にひんした〈私〉意識が、文学の表現のうえでみつけだしたもうひとつの脱出路は、〈私〉意識の輪廓のぼんやりした不確かな内部を、表出の対象にすることで現実での〈私〉の解体を補償しようとする欲求だった」(p286)

「〈私〉意識が拡散して、しかも劃一化されてしまうのではないかというおそれをもったこの時期の作家たちが、ささいな対象をえらび、対象をじぶんで制限することでこころのうちで意識を集中させ、統覚しようとした欲求の表出にあたっていた」(p289)

「文学の変革は、どうしても文体の革命をふくみ、文体の革命は文学者のある根源にある現実の意識によっている。だから現実社会の根にある核の変化と対応している」(p294)

 

2 新感覚の安定(文学体)

「ここで、「観念の崩壊」という言葉を、〈私〉意識の崩壊をいいなおすなら「新感覚派文学運動」という言葉は、ある普遍性をもつとみなされるといってよい」(p299)

「かれらは〈私〉意識の崩壊という社会の高度な段階にはいって、想像線を架空に自在な序列が成り立つ世界として設定する課題をしいられながらこの意味をよく捉えきれずに、望みをイデオロギー移行と形式優位論に託した」(p300)

「この作品[「機械」]で横光利一は〈私〉意識の解体と劃一化という時代の普遍的なもんだいを、そのまま、表現の対象にまで昇華し、はじめてこの時期の社会の現実におこったさまざまなもんだいの根柢に独自な方法で手をふれることができた」(p302)

「「機械」は横光利一じしんにとっても劃期的だったばかりでなく、近代の表出史に新しい文学体をみちびきいれたことでも劃期的だった」(p304)

「社会の構成の拡大と平準化の風圧にたいし、つま先立ってあたらしい文学体の尖端をたもつことが、思想としても手法としても苦痛でたえられなかった文学者 たちはイデオロギーの外皮の如何にかかわらず横光が敷いた「純文学にして通俗小説」というレールのうえを走りはじめたのだ」(p305)

「[小林多喜二は]〈私〉意識がこわれ劃一になってしまいそうな社会のすがたを〈階級〉の意識をうつすことで解消しようとひたすらかんがえたその理念が、 どれだけ現実の社会のひろがりの表がわをかすめただけだったか、またどこまでは現実の根拠にくいこんだのかがしめされている」(p309)

 

3 新感覚の安定(話体)

「いわゆる昭和の〈文芸復興〉期のもんだいは、表出史としてみればあたらしい文学体と話体とが分離してふたつの極がひっぱられた言語空間が、かつてない規模でひろがりまた空間で融着したことであった」(p312)

「かれ[谷崎潤一郎]がえらんだのは、日本の古典の伝統的な手法ともいえる話体を連環させる方法だった」(p315)

「昭和期の話体言語をほとんど極限にまでおしすすめたのは、太宰治であった」(p317)

「この時期の話体の作家のうち〈私〉意識の解体と劃一化という契機を崩壊とか風化ではなくて、積極的な意味で構成的な話体の意識としてとらえたのは、おそらく太宰治だけだった」(p320)

「太宰治の話体の表出をひとつの極にして、やがて戦後文学の話体はつくられた」(p320)

 

4 新感覚の尖端

「解体した〈私〉意識を対象にするすべをうしなった文学者たちが、濁流が海にそそぐように話体へと氾濫していった」(p321)

「このかぎられた世界でこころの内の世界を精密に拡大鏡にかけたように追及するというせばめられた場面の操作によってしか、文学体の強さはたもたれなかった」(p326)

「しかし戦争をくぐりぬけた敗戦のあとに、すぐに第一次戦後派の文学体をまねきよせたのは、個々の作家の意図にかかわりなく伊藤、堀、中野そのほかの少数の昭和期の文学体の旗手たちだった」(p327)

 

第IV部 戦後表出史論

1 表現的時間

「表現意識の〈時間〉がうしなわれた」(p329)

「もし表出の意識が〈時間〉の統覚をうしなえば、いままで〈意味〉の方向に流れていた時間は、〈意味をこえて表出空間のほうへ氾濫してゆくはずだ」(p333)

「戦後の表出史は、近代文学史のうえではじめて意識の〈時間〉の統覚をうしなう体験をもった。(略)この状態は作家たちが、根源の現実についての意識をう しなったことに対応している。そしてここでは〈私〉意識がこわれたあとの想像線は、現実のどこかの断面に対応づけられるよりも、こころの内の見えない断面 にまで地盤を沈め、そこで表出をなりたたせるよりほかなかった」(pp333-334)

 

2 断絶の表現

「継続的な表出体」「断絶的な表出体」の「二重に解像された表出体が、同時にスタートラインにならんだという現象こそ、丸山真男のいわゆる「第二の開国」である戦後開明期の意味を暗示するものだった」(p336)

「戦後の文学体があざやかにしめしたのは、すでにじぶんの意識がじぶんの意識を対象にすることさえできないほど崩壊した〈私〉意識のすがただった」(p338)

「かれらが表出の〈時間〉性をうしなったのは、戦争、敗戦をへた戦後のはじめに、こころのうちの意識の〈死〉を味わったことを象徴している」(p344)

「[太宰の]こういう人間と人間との断絶をつきつめた思想を、話体、つまり他者に語るスタイルで表現するのは、いわば絶対的矛盾だった」(p363)

 

3 断絶的表現の変化

「三島、大岡、佐多、田宮などの文学体があたらしい意味をもって登場してきた過程は戦後の表出史が〈時間〉的な秩序を奪いかえす過程だった。自己表出としての言語が、持続と展開ができるような意識を回復したのだ」(p373)

「いっぽうで、ほぼこの過程とひびきあうように、戦後の話体の表出は文学体へ上昇してゆく過程にむかった」(p373)

 

4 断絶的表現の頂点

戦後文学体の頂点を三島由紀夫、伊藤整、大江健三郎、倉橋由美子に、戦後話体の頂点を開高健、深沢七郎、島尾敏雄らとして評価する。

 

pp387-388に話体と文学体との理論を開陳して本稿は終わる。