フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識』(平凡社ライブラリー)

第2章「魔術的物語」

〈序〉問題設定、ロマンスとジャンル批評の復活に向けて

「後期資本主義社会においてリアリズムが徐々に物象化されてゆくまさにその文脈のなかで、ロマンスは異種の物語が混在する場、リアリズムの再現=表象を縛 り抑圧しているあの現実原則からの開放の場として再認識されるようになる。いまふたたびロマンスは、別の歴史的リズムを感知し、ゆるぎなく決まった場所に おさまっている現実を魔術的あるいはユートピア的に変形する可能性をもつように思える」p182

→ロマンスを現実からの開放の可能性を持つものとして再評価する。

 

「ジャンル批評は現代の文学理論や実践によってすっかり信用をおとしてしまったが、実はつねに史的唯物論と特権的関係を保ってきた」p183

「マルクス主義にとってジャンルの概念のもつ戦略的価値が、ジャンルという概念のもつ媒介機能にあることは明らかであり、この機能のおかげで、個々のテク ストに内在する形式の分析と、形式の歴史ならびに社会生活の進化というつねに対をなす通時的パースペクティブとの関係が調性できるのである」pp183- 184

→ジャンル批評により、テクストの形式分析と、歴史的通時的パースペクティブの関係を探求する。

 

「ジャンルは本来、文学的制度であり、作家と特定の読者層を結びつける社会的契約であり、その機能は文化的造型物の正しい取り扱い方を決めることにある」p185

「市場原理と貨幣経済が徐々に浸透するにつれ、他の多くの制度や伝統的慣習とともに、その犠牲となったのは、ジャンル運用の状況だけではなかった。犠牲と なったのは、ジャンルという契約あるいは制度そのものであった。文化の生産者のためにかつて制度的にしつらえていた社会的地位がなくなり、芸術作品は商品 化の波にさらされ、以前のジャンル細目は、正統的な芸術表現なら抗わざるをえないような商標名方式にかわってしまった。にもかかわらず、古いジャンルのカ テゴリーは死に絶えず、大衆文化の下位ジャンルというかたちでつかのまの繁栄を誇りつつ、生き残っている。(略)それでも、フライ的、ブロッホ的批評家の 手によってその名に不朽の、原型的な響きがとりもどされるのを、待ちこがれている」p186

→社会によって支えられていた契約、制度としてのジャンルが商業的に無意味化したものを、再び文学批評の中で復活させる。

 

「ジャンルは、文学史や文学形式生産を分類し、中立の立場から記述するものと考えられてきた。文学史や文学形式生産のなかに、ジャンルのカテゴリーが組み 込まれていることが明らかである以上、ジャンルのようなカテゴリーを歴史的によく省察して、新たな活用法を見出すことが、必要であるように思われる」 p186

→ジャンルを「歴史化」することがこの章の目的である