テオドール・W・アドルノ『プリズメン』(ちくま学芸文庫)

第2章「知識社会学の意識」

「そのなかで最も重要なものは、真正の形態をしたイデオロギー論を拒否しようとする衝動である」(p37)

 

「マンハイムの概念的世界の一般化する秩序はその中立性において現実的世界に好意的である」「社会全体への訴えは、マンハイムの場合、全体のなかで初矛盾 の中間的な調整の意味での社会的過程を神格化する機能をもつ。それによって理論上は諸矛盾は消滅する。だが、社会「の」生活過程は、まさにそうした矛盾の うちにあるのである」(p39)

 

「社会の不確実で不合理な自己保存は形を変えて、社会の内在的正義ないし「合理性」の働きに変造される」(p40)

 

「マンハイムはしかし、エリート概念を使用するにあたって社会的権力を度外視する」(p40)「学問以前のごくささやかな経験にすら矛盾する」「そういう お喋りは現実の苦しみを魔法によって精神の罪に変え、文化を誹謗し、たいていの場合、蛮行に役立っている」「俗物は憂鬱とペシミズムを習い覚え、それらの 名において人間性を否定している」(p41)

 

「特に気懸かりなのは、時代の空気がもはや〈真正の血の原理〉の奥義にそぐわないことである」(p42)「マンハイムの「淘汰メカニズム」なるものは単に考案されたものであり、事実的な社会の生活過程とはほど遠い恣意的に選ばれた座標系である」(p43)

 

「白痴化は抑圧された人々によって惹き起こされるのではなく、抑圧が人々を白痴化するのである。すなわち抑圧は、単に抑圧された人々だけでなく(略)本質的に抑圧者たちをも白痴化する」(p44)

 

「社会の本質はほかでもなく、重くのしかかって、個人を客観的動向の単なる代理人に引き下げるさまざまな形式を展開するという点にある」「それ[知識社会 学]は集団を形成する人間に(略)訴えるが、この訴えは社会的存在と個人的存在の一致をある程度先験的に前提している。ところが、そういう一致が存在しな いことこそ、批判理論のもっとも緊急なテーマの一つをなすものである」(p45)

 

「歴史過程はそれ自身のうちで一致団結した社会的な全体主観によって制御されているという信仰が目覚される」(p46)「妥協の理念によっては、計画化に よって廃棄されるとされたその同じ矛盾が先延ばしされるだけである。計画という抽象的概念はそれらの矛盾を前もって隠蔽するもので、それ自体が、保持され る「自由放任」と、その機能不全への洞察との間の妥協なのである」(p47)

 

「いわゆる所与性そのものが概念的処理のための単なる素材以上のものを提示している、すなわち、それらは全体によって形成され、それによってそれ自体が「構成」されていることを意味している」(p48)

 

「こういう抽象の切片はけっして「中立的」ではない」「どんなに修正しても、基本的カテゴリーの選択が間違っているという事実、世界はこれらのカテゴリーに合わせて造られていないという事実は免れることができない」(p49)

 

「いかなる出来事も、一般的緒力ないし法則によっては惹き起こされない。原因性は出来事の「原因」ではなく、そのもとにさまざまな具体的生起がまとめて捉えられる最高の概念的普遍性である」(p53)

 

「こういう概念形成の形式主義が内容的にどこに行きつくかは、その綱領上の諸要求が知らされるやいなや明らかになる。まず社会の徹底的組織化のために「最適の条件」が要求されるが、この最適条件から離れた屑のことは考えられもしない」(p55)

 

「欲望の力と「非合理的なもの」とを同一視することは、良い結果を生まない。なぜなら、その概念はリビドーとその抑圧の構図を同じように「没価値的に」蔽い隠すからである」(p56)

 

「積極的な考察法の光のなかでは表層は無傷のままであるのに反して、この社会学の窮極の叡智は、家の内部では表示された境界を超えて本気で外に出て行こうとするどんな心の動きも生まれえない、ということである」(p57)

 

「そこにはあの「少数の組織者」の精神としての客観的精神が知識社会学を離れて語っている。(略)マンハイムの省察は、結局すべて社会的な「計画」を奨励することに終わる。そして社会的根拠へと肉薄してゆかない」(p58)

 

「こういう計画を弁護する人々は、眩惑の名においていずれにせよ権力を手中に収めている人々に、理性の名において権力を認定するのである。現代の理性の権 力は、いま権力をもっている人々の盲目的理性である。しかし、この理性は破局を目指して進みながら、その理性をほどほどに否定する精神をそそのかして、自 分の前で退位させようと誘惑している。(略)この精神にとっては、自由とはもう、「社会学的に見て、中央集権的に組織可能な圧力機構の作用半径の増大と、 圧力をかけるべき単位集団の範囲の増大との間の不均衡以外の何物でもない。」知識社会学はホームレスの知識人のために教育強制収容所を設立するが、そのな かで知識人が習わなければならないのは、自分自身を忘れることである」(pp59ー60)