フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識』(平凡社ライブラリー)

第2章「魔術的物語」

〈4〉ロマンスの歴史的物語

「フライの体系の原動力となっているのは、歴史的《同一性》(アイデンティティ)の概念なのである。近代のテクストにみられる神話的型式(パターン)をフライが同定するねらいは、資本主義にもとづく文化的な現在と、部族社会にもとづく遠い神話的な過去が類似しているという感覚を強め、現在の私たちの心的生 活と原始的部族の生活とが連続しているという感覚を、めざめさせることにある。この意味で、フライの体系は「肯定的」解釈学であり、歴史的差異を、そして 生産様式とその生産様式の文化への表出とのあいだの根本的な不連続を、濾過して取り除いてしまう傾向がある。いっぽう、否定的解釈学はそれとは正反対に、 神話と「歴史的」文学に共通してみられる物語の原材料を利用して、歴史的差異についての私たちの感覚を研ぎすませようとする」pp228-229

→フライの肯定的解釈学は物語の超歴史的連続関係を説くことによって歴史的差異を取り除いてしまうが、著者のとる否定的解釈学は物語の原材料を利用することによってそれらの歴史的差異を読み解こうとする。

 

「中世ロマンスが、その社会経済的環境のなかでたやすく扱えた、魔法や〈他者性〉といった原材料にかわるものとして、すっかり変わってしまった歴史的条件 のもとで、いったいなにが見出されたのか、といった疑問も、ロマンスの残存は提起する。いいかえれば、かわりとなるそうしたコード・原材料を探索すること で、様式としてのロマンスの歴史を語ることが可能になる。封建主義の崩壊に端を発した、このますます世俗化され合理化されていく世界においては、そうした コードや原材料が、魔術的な諸カテゴリーである〈他者性〉(略)のかわりをつとめているのである」p229

「マンゾーニの洗練された神学(略)は、魔術的カテゴリーを宗教的カテゴリーで置き換えただけでなく、なかんずく、アニミズム的な力についての原始的感覚を合理化して、はるかに「リアリスティック」で心理学的な「奇跡」としての信仰的目覚め(コンヴァーション)を描いた点で、形式としてのロマンスの、はじまったばかりの世俗化を特徴的に示している」p230

「こうした[革命以前の、世俗化の度合いの少ない]社会では、〈神慮〉の概念を用いれば、ロマンスのもつ救済史的論理と、資本主義の社会的原動力によって生まれたばかりの歴史性の感覚とを、神学的に適切なやり方で媒介できたのである」p232

「[赤と黒の]ジュリアンの内部に結果として生じる変容とは、かつて聖杯ロマンスのなかで荒地のうえに罰としてもたらされた物理的・自然的な荒廃に匹敵する心理的荒廃である。さらにいえば、以前の魔術的風景が、言葉のあやへと弱められ、その経過を記述するのにスタンダールが用いた驚くべき文章に、いまだに しみ込んでいる」p234

「ブルジョワがヘゲモニーを握ったこの初期の重要な時期、ロマンスの再創出のための戦略は、旧来の魔法的内容を新しい実証的なるもの(神学、心理学、劇的 メタファー)で置き換えることであった。十九世紀の終わりになり、魔法的内容に匹敵する世俗的対応物が探査しつくされると、こんどは、カフカからコルター サルにいたるまで、初期モダニズムに特徴的な無目的性が、世俗社会の核心にある決定的で顕著な《不在》としての幻想の場を取り囲む」p235

→ロマンスの原材料の変遷の歴史的通時的解釈。

 

「近代生活の根本的貧困化と圧迫の感覚を伝えようとして用いた、非神聖化のイデオロギーを、ロマンス形式そのものの不在と沈黙によって、ロマンスが表現し うること。それが、むしろ現在、ロマンス果たすべきもっとも真正な使命なのである。かくして様式としてのロマンスの最後の認識されていない相である近代の 幻想文学のすぐれた表現が、その魔術的な力の源泉としているのは、ある場所に対する、感傷を排した忠誠心とでもいえるものである。その場所とは、かつては 上界と下界とが交錯していたものの、それ以後打ち捨てられたままになっている空白地帯なのである」p238

→ロマンスの世界に不可欠だった魔法的内容の「不在」を表現することによって、現代のロマンスは復活しうる?

→近代の幻想文学は、近代以後打ち捨てられた「上界と下界が交錯していた空白地帯」の「不在」を描くことによってロマンスの歴史に連なっている?