テオドール・W・アドルノ『プリズメン』(ちくま学芸文庫)

第6章「時間のない流行」

セクション1(p.175-)

ジャズは決して新しい音楽ではない

「…初期のジャズバンドの粗暴な身のこなしの演奏は、商業化される機会が増え広く受け入れられるにつれて、たえず専門家的な試みをすることでふたたび生気 を取り戻そうとして和らげられた。しかし、それらの試みも―それがスウィングと呼ばれようとビーバップと呼ばれようと―例のごとく、またもビジネスの手中 に落ちて、急速にそのシャープさを失った。」(p.176)

「ジャズがアフリカ的要素をもつことは疑うことができないが、しかし、ジャズのうちの手に負えない野生が最初から厳格な図式にはめ込まれていることもまた疑いを容れない。」(p.177)

「リズム、和音、楽式などの種類の制限は、少なからず束縛的である。ジャズのこういう十年一日のごとく変わらない特質は、すべて素材という下部組織のうち のあるのではない。そのなかでは想像力は分節化された言語においてと同様に、自由に、抑圧されずに活動できるだろう。そうではなく、それは二、三のあらか じめ決められたトリックや定型句や常套句などが〔ジャズの〕専有物に高まることにある。それはちょうど人々が「流行中」(アン・ヴォーグ)という刺激をつ かんで放さないことや、カレンダーをめくることを拒むことによって、年号が映像として表れるのを認めまいとするようなものである。流行そのものが持続的な ものとして王座に就き、まさにそのことによって流行は、流行のはかなさというその品格を失うことになる。」(p.179)

 

セクション2(p.180-)

ジャズの生産サイド(作曲、演奏)についての議論

「ジャズの逆説的な不死性は、経済関係に根差している。」(p.181)

規格化=「規格化は、視聴者大衆とその条件反射のより確実な永続的支配を意味している。企業人たちは、大衆が馴染みのものだけを求めていて、もしその要求 がはぐらかされたりすれば、激怒することを予期している。彼ら大衆には、その要求の実現は顧客の人権だと思われている。」(p.181) 

疑似個性化=ジャズのシンコペーションは「たえず聴き手に変わったものを約束して彼らの注目を惹き、うんざりするとような単調さから抜け出さなければなら ないのに、けっして自分のまわりに描かれた魔法円を越えることができない。言い換えると、それはいつも新鮮であるとともに、いつも同じでなければならな い。そのためにさまざまな逸脱もスタンダードと同じように規格化され、現れたと思うと、同じ瞬間にすぐ引っ込められる。ジャズは、あらゆる文化産業と同じ ように、同時に願望を諦めるためにのみ、願望を実現するのである。」(p.184)

「音楽における聴き手の代理人であるジャズ‐主体がどんなに変わり者のふりをしようと、彼自身はけっして変わり者ではない。規範と合致しない個人的な癖 は、この規範によってつけられたもので、いわば不具化の傷痕である。不安に満ちて彼が自分の怖れる社会と同一化するのは、社会が彼をそのような人間にした からである。」(p.183)

 

セクション3(p.186-)

ジャズの消費サイド(聴き手)についての議論

2つの聴き手のタイプ

「専門家」タイプ=「彼らは、たいてい、今日どこにでも見受けられる通り頭が混乱していて、自分たちを前衛的だと思っている。」

「漠としたファン」(p.188)

「中核グループと未分節な信奉者たちの二つのグループへの分断には、なにか党のエリートと残りの一般大衆との間の分断を思わせるものがある。」(p.190)

 

セクション4(p.190-)

ジャズと精神分析

「ジャズの目標は、ある退行的契機の機械的再生、すなわち去勢の象徴化である。それは次のことを意味するように見える。お前は男性であるという自負を棄て て、ジャズバンドの宦官じみたサウンドが嘲笑し、布告しているように、去勢されるがいい。そうすればねぎらわれて、インポテンツの秘密をお前と共有する男 性同盟に受け入れられ、入社式の瞬間にその秘密を明かされるだろう。」(p.191)

「かつて美的領域は、それ自身の法則をもつ領域として、呪術的タブーから発生した。そしてこのタブーは聖と俗を分離し、聖なるものを純粋に保つように命じ た。しかし今やその俗は、呪術の後継者である芸術に復讐する。今日、芸術が命脈を保つことができるのは、それが別な在り方をとる権利を放棄して、俗の全面 的支配に組み込まれるときだけである。なにしろ、タブーも最終的にはこの俗へと移行してしまったのだから。いま存在するものと同じでないものは、何ひとつ 在ってはならない。ジャズは芸術の間違った清算である。ユートピアは実現されたが、その代わりにそれは画面から消えた。」(p.195-196)Jazz is the false liquidation of art----instead of utopia becoming reality it disappears from the picture. (translated by Samuel & Sherry Weber, 1981)