プラトン『国家 上』(岩波文庫)

第三巻

(この巻はソクラテスがほぼ一方的に話して、グラウコンが相槌を打つ)

一 (詩人追放論)心の内に死の恐怖を抱かせないように、冥界のことをむしろ讃えるべきである→詩(イリアス、オデュッセイアなど)抹殺論

  多くの人々にとって聴くに快く楽しいものであることを否定するからではない。むしろ詩としてうまくできていればいるだけ、死よりも隷属を恐れる自由な人間はこうした詩句を聞くべきではない。

二 死に関する恐ろしく怖い名前は斥けられねばならない。

  名のある人物の悲嘆は削除するのが正当である。

三 立派な人間が笑う話も受け入れられない。

  偽りを言うことは国の支配者たちだけが許される。

  節制を養う詩を書かねばならない。

四 偉人がふさわしくない言動をしたという詩句は全て真実ではない。

五 以上で神々や英雄についての語り方は決まったが、人間についての語りの規則はまだ決められていない。

  人間については誤った考えを照らし合わせて対話によって真実に辿りつくべきであるから、間違った物言いを禁じることはできない。

六~九 〈いかに〉語るべきかについて。〈真似〉(ミメーシス)について。

    変化抑揚にとぼしく、正しい吟唱のための語りはほとんど同じ調べをとり、単一の音調のうちになされ、一様斉一なリズムになる、優れた人物の〈真似〉のみが正しい。

    各人が1つのことだけをするのが正しい国家のあり方であるから、〈真似〉の技術と人は不要である。

一〇 (音楽論)悲しみ、嘆き、柔弱さ、酒宴用の調べを禁じる。よってドリス調とプリュギア調のみが善い。

   転調のできる三角琴やリュディア琴、笛(アウロス)は追放し、転調できないリュラとキタラとだけが残る。

一一 リズム論

一二 自分が熱心になっている相手と交際するのには、けっしてそういう限度をこえた交わりがあると疑われないようにしなければならない(プラトニック・ラブ?)。

   音楽・文芸のことは、その終局点として、美しいものへの恋に関することで終らなければならない。

一三 禁欲的体育(健康)論

一四 裁判(官)不要論、医者不要論。

一五 医者不要論続く。

一六 優れた医者、裁判官について

一七~一八 調和のある魂の持ち主について

一九~二〇 支配者となるべき人(守護者)について

二一 金・銀・銅・鉄の人の先天的な差(cf.カースト制度、ギリシアにおける奴隷の存在)

二二 一種の私有財産制拒否の共産主義国家論

第四巻

(この巻でもほぼソクラテスが一方的に話し、アデイマントスまたはグラウコンが相槌を打つ)

一 アデイマントス:あなたのお話では、この人たちはさっぱり幸福ではないことになる。しかもそれは、彼らがみずから求めてそうしていることになる。なにしろ、国家は本当は彼らのものであるのに、この人達は国家から何一つ善いものを享受しないのだから。

  ソクラテス:国の全体が幸福であるとは、全ての人間が自分自身の仕事にだけ専念するというところにある。

二 (以下、全てソクラテス):職人を劣悪なものとするのは富と貧乏である。よって守護者たちはこの二つが国に忍び込むのを防がねばならない。

  ソクラテスが説くところの「国家」は戦争においても最強である。

三 守護者たちは国家が小さすぎずにも大きすぎずにもならないようにしなければならない。

  世襲制の否定。かつ能力による教育の場の別。

  教育と養育の重視。

  音楽・文芸を新しいものに改変することは危険。

四 子供には法に合致した遊びをさせねばならない。

四~五 細々した法律は不要。ただし神々や神霊や英雄神への奉仕についてはアポロンの宣託が必要。

六 〈知恵〉〈勇気〉〈節制〉〈正義〉の四つの徳のうち、〈知恵〉をもつのは守護者たち。

七 恐ろしいものとそうでないものについての正しい考えを常に保持することを〈勇気〉と規定する。

八~九 快楽や欲望に打ち克ち、自分自身に打ち克っていると呼ばれるべき国家があるとすれば、われわれのこの国家である。

    誰が支配しなければならないかについて、支配している人々と支配されている人々の間に同一の考えが成立しているような国家は、今話している国家に他ならない。

    〈節制〉は支配者と被支配者の両方に備わっている。

一〇 「自分のことだけをする」ことが実現されることが〈正義〉である。

   他人のものでない自分自身のものを持つこと、行うことが、〈正義〉であると認められる。

   階層どうしの入れ替わりと余計な手出しは国家を滅ぼす最大の害悪であり、〈不正〉である。

一一 個人の内には国家の中にあるのと同じ種類の性格と品性がある。

一二 (矛盾律)同一のものが、それの同一側面において、しかも同一のものとの関係において、同時に、相反することをしたりされたりすることはできない。

一三~一四 魂がそれによって理(ことわり)を知るところのものは、魂のなかの〈理知的部分〉と呼ばれるべきであり、他方、魂がそれによって恋し、飢え、渇き、その他諸々の欲望を感じて興奮するところのものは、魂のなかの非理知的な〈欲望的部分〉である。

      〈気概〉はこれらとは独立したそれ自体として存在する。

一六~一七 今まで語ってきた国家の正義と、個人の正義は正確に対応する

一八 〈不正〉とは、魂の特定の部分が魂のなかで分不相応に支配権を握ろうとして、魂の全体に対して起こす叛乱である。

   正しいことをすることは〈正義〉を作り出し、不正なことをすることは〈不正〉を作り出す。

   〈正義〉を作り出すということは、魂のなかの諸部分を自然本来のあり方に従って互いに統御されるような状態に落ち着かせることであり、〈不正〉を作り出すとは、それらの部分が自然本来のあり方に反した仕方で互いに支配し支配されるような状態を作り出すことである。

   徳とは魂の健康であり、美しさであり、壮健さであり、悪徳とはその病気であり、醜さであり、虚弱さである。

   美しい営みは徳の獲得へと導き、醜い営みは悪徳の獲得へと導く。

一九 第五巻へのつなぎ

第五巻

一~二 皆でソクラテスに妻女と子供の共有についての説明を求める。ためらうソクラテス

三~七 男女はその自然本来の素質において異なっているのだから、それぞれに与えるべき仕事も別のものとなるべきである。

    だが、国の守護に向いている女もあれば、そうでない女もある。国家を守護するという任務に必要な自然的素質そのものは、女のそれも男のそれも同じであるということになる。

    男の守護者たちも女の守護者たちも、あらゆる仕事を共通に引き受けなければならない。

七~九 一種の遺伝的優生学、集団による管理結婚・出産・育児論

一〇~一一 苦楽の共有のための私有財産制の否定と共有財産制の最大のものとしての妻女と子供の共有。

一二 ユートピア的国家像

一三 守護者としての幸福とは。

   仕事における男女平等。

一四 戦争(と戦争教育)論

一五 戦後処理論

一六 ギリシアと夷狄の別

一七 どのようにしてこの国家は実現可能かについて皆に突っ込まれるソクラテス。

   ソクラテス:言葉で語られるとおりの事柄が、そのまま行為のうちに実現されるのではなく、実践は言論より真理に触れることが少ない。

   ソクラテス:言葉によって述べたとおりの事柄が、何から何まで完全に行われることを示さねばならぬと無理強いしないでくれ。できるだけ近い仕方で国家を治められうるかを発見したならば満足してくれ。

一八 哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり、あるいは、現在の王・権力者たちが哲学するのでないかぎり、つまり、政治的権力と哲学的精神とが一体化されないかぎり国々にとって不幸のやむときはない。

一九 哲学者(愛知者)は全ての知を欲する。

二〇 真の哲学者とは、真実を観ることを愛する人達である。

   〈美しいもの〉を見る者の精神のあり方は〈思わく〉であり、〈美〉そのものの本性を見る者の精神のあり方は〈知識〉である。

二一 〈知識〉と〈無知〉の中間に現れるのが〈思わく〉である。

二二 それぞれのものについて、それ自体としてあるところのものに愛着を寄せる人々こそが〈愛知者〉(哲学者)と呼ばれるべきである。