ミシェル・フーコー『性の歴史1 知への意思』(新潮社)

第4章「性的欲望の装置」

第三節:領域

「西洋近代社会は、特に十八世紀以降、この婚姻の装置に重なりつつ、それを排除することなしにその重要さを削減するのに貢献することとなる一つの新しい装置を発明した。それが性的欲望の装置である」これは「権力の流動的で多形的かつ状況的な技術に従って機能」して「管理の領域と形態の恒常的拡大を生み出」 し、その「機能的一貫性は」「身体の感覚、快楽の質であり、いかに微かで捉え難いものであっても、それらの刻印の性質」に基いており、「性的欲望の装置は、多数の微妙な中継点を介して経済に結び付けられているが、その主要なものは身体であり、生産し消費する身体なのである」(pp136-137)

「性的欲望の装置の存在理由は、生殖=再生産することではなく、増殖すること、いよいよ精密なやり方で、身体を刷新し、併合し、発明し、貫いていくこと、そして、住民をますます統括的な形で管理していくことにある」(p137)

「性的欲望は権力の新しい装置に結びついていること、十七世紀以来、ますます拡大の傾向にあること、以後、それを支えてきた仕組みは、生殖=再生産を目的 とはしていないこと、それは初めから身体の濃密化に、つまり知の目的として、権力の関係内部における要素としての身体の評価に結びついてきた」 (pp137-138)

婚姻の装置によって作られた夫婦と家族は、性的欲望の装置として近代西洋において動き始めた。家族とは、性的欲望を外に向かって広めるのではなく、内に向 かわせる装置である。しかし、この性的欲望は「心理学化」「精神病理化」される。そして、性的な「病人」は家族から一旦引き離されるが、精神分析において、また、近親相姦という形で家族に性的欲望がつなぎとめられる。ここにおいて、性的欲望によって婚姻の装置を支えるという逆説が生じる。

「家族は性的欲望と婚姻=結合の交換器である。それは法と法律的なものの次元を性的欲望の装置の中に運び込む。そして快楽の産出・配分の構造(エコノミー)と感覚の強度とを婚姻の体制の中に運びこむのだ」(p139)

 

第四節:時代区分

18世紀末、それまで宗教的範疇にあった性が世俗化され、国家の問題、「性のテクノロジー」とされ、「社会集団全体とそれを構成する個人の一人一人が、自らを監視するように要求される」(p148)「性のテクノロジーは、本質的には、この時から、医学的制度へとへと、正常さへの要請と整えられるのであっ て、死と永遠の劫罰という問題よりは、生きることと病気の問題になるのだ。「肉欲」の場である「肉体」は生理的人体の上に折り重ねられる」(pp149- 150)

「そこから、結婚と出産と余命についての国家的管理・経営を組織しようという、医学的であると同時に政治的な計画が生まれる。性とその生殖能力は行政的に管理されねばならないのだ。性倒錯の医学と優生学のプログラムは、性のテクノロジーの内部で、十九世紀後半の二つの大きな革新だったのである」 (p150)

「精神分析学は、一九四〇年代までは、〈倒錯ー遺伝ー病的変質〉のシステムのもつ政治的・制度的な作用にはっきりと対抗したものだったのである」(p152)

性の技術の系譜は、古典主義時代から二十世紀に向けて抑圧を増大させていったのではなく、「むしろ不断の創造性、方法や手段の恒常的な増殖が認められる」(p152)のである。

「最も厳密な技術が形成され特にまず、極めて集中的に適用されたのは、経済的に恵まれ、政治的に指導的な位置にいた階層においてであった」(p153)そ してブルジョワジーの婦人、次いで少年が性的欲望の装置に組み込まれる。そして庶民的階層においては、十八世紀末に出生率の問題について、一八三〇年前後 に貧民階級の教化のために「都市部のプロレタリアートを従属させるには不可欠の政治的管理と経済的制御の道具」(p155)が作られ、最後に「十九世紀末に、性的倒錯の法的・医学的管理が、社会と種族の全般的保護の名のもとに展開」(p155)される。

「性的欲望の装置が伝統的に「指導者階級と呼ばれたものによって設定されたのは、どうやら他者を制限する原理としてではなかった。むしろそこに立ち現れるのは、彼らがそのような装置=仕組みをまず自分自身に試してみたということだ」「ブルジョワジーは、自らが発明した権力と知のテクノロジーによって自分自身の性に地位を与えるというこの仕組みの中で、己れの身体の、感覚の、快楽の、健康の、余命のもつべき政治的な高い価値というものを認めさせたのだ」 (p156)

「ブルジョワジーの「自発的な哲学」」の「優先的な配慮の一つは、自らに一つの身体と性的欲望を与えることであったし、性的欲望の装置を組織することによって、この身体の力を、永続性を、幾世紀にもわたる繁殖を自らに保証することであった」(pp159-160)

「性的欲望(セクシュアリテ)というものは起源からして本来的に、歴史的にブルジョワジーのものであり、その連続的な移動とその転移において、特殊な階級的作用をもたらすものなのだ」(p162)

「ブルジョワジーは、十九世紀末には、自己の性的欲望の特殊性を他の階級の性的欲望との対比において再定義しようとし、自己の性的欲望なるものを差異として再び取り上げ、自己の身体を特殊なものに仕立てて保護するような分割線を引こうとする。この分割線は、もはや、性的欲望を成立させた線ではなく、反対にそれを阻止する線だ。爾後、差異を作るのは禁忌である、というか少なくとも禁忌の行使される方法や、禁忌の課せられる厳密さがそれをする。抑圧の理論が次第次第に性的欲望の装置のすべてを覆い、それに全般的な禁忌という意味を与えていくのだが、その起源はここにあるのだ。抑圧の理論は、歴史的に性的欲望の装置の普及に結びついている」(pp162-163)

「爾後、社会的な差異は、身体の「性的」な質によるのではなく、その抑圧の強さによって確立されることになるのだ。精神分析が導入されるのは、まさにこのような時点においてである。法と欲望とが本質的に相帰属するものだという理論であると同時に、禁忌の厳しさが禁忌をして病因たらしめるに至ったまさにその地点で、禁忌の作用を取り除くための技術である」(pp163-164)

「自己の性的欲望を心配するという独占的な特権を失った者たち[ブルジョワジー]は、爾後は、それを禁じるものを他の人々より強く感じ、かつその抑圧を取り除くことを可能にする方法[精神分析]も所有するという特権を持つに至ったのである」(p165)

「精神分析の周囲で、あれほど以前から形成されていた告白の巨大な要請が、抑圧を取り除くための命令という新しい意味をもつに至る。真理の務めは、今や禁忌を問題にする作業に結ばれたのである。ところで他ならぬこのことが、重要な戦術上の移動の可能性を開いたのだ。すなわち、性的欲望の装置の全体を、全般的なものとなった抑圧という言葉で解釈し直すことだ」「こうして両大戦間に、ライヒを中心に、性的抑圧についての歴史的ー政治的批判が形成された」 (p166)

しかし「この批判が相変わらず性的欲望の内部で展開されており、その外部やそれに反抗してなされていたわけではない」「この性の「革命」のすべては、この 「反ー抑圧」の闘いのすべては、巨大な性的欲望の装置の内部における戦術的な一つの移動、一つの逆転以上のものでも、それ以下のものでもなかった」「しかしそこからまた、何故この批判作業に、他ならぬこの装置の歴史を書くための読解格子となることを望むのが不可能であるかも理解される。その装置を解体する ための運動の原理となることも、同様に不可能なのだ」(pp166-167)