『完訳 統治二論』ジョン・ロック(1690)(岩波文庫版(2010))

 

 本書の前編は「統治について」である。主にフィルマーの王権神授説に対する批判から成り立つ。前編の内容は、旧約聖書の解釈によって王権神授説に対する神学論争の様相を呈しているが、近代政治思想史の原点においても聖書解釈の果たした役割が大きかったことがわかる。また旧岩波文庫版では省略されていた前編の読解を通して、我々日本人には馴染みにくい旧約聖書に少しでも親しむきっかけとなればいい。ホッブズやスピノザの著作にも旧約聖書の解釈は頻出するからである。なお、前編ではまだ有名な社会契約論の考えは前面に出てこない。

 

    第一章 序論

 ロバート・フィルマ-の『パトリアーカ』、及びその他の論文に書かれた考え方に対する反論を意図して書かれたことをロックは述べている。

 フィルマーの体系とは、1:すべての統治は絶対王政であること

                2:いかなる人間も自由には生まれついていないということ

に集約される(p29)。

    第二章 父親の権力と国王権力について

 フィルマーの言う父の権威あるいは父たる権威とは、「神から授与された不変の主権」であって、父あるいは君主は、それによってその子供、あるいは臣民の生命、自由および資産の上に、絶対的で、恣意的で、無制限で、制約不可能な権力(p42)。

 アダムの主権を擁護し生来的自由を論駁する一切の要約が、神によるアダムの創造、神がアダムに与えたイヴに対する支配権、アダムが父として有する子供たちへの支配権といった形で見られる(p48)。

    第三章 創造を根拠とする主権へのアダムの権原についてアダムの権原について

 王を世界の所有と理解し、指定をアダムに対する神の実際の贈与、あるいは啓示された明白な認可と理解するとすれば、彼の議論は次のようになるであろう。アダムにとって、子孫の支配者になることは自然の権利によって当然のことであったから、彼は、創造されるや否や、神の明白な認可によって世界の所有者となった(p54)。

 ロックによる二つの誤謬の指摘。

    第四章 神の贈与を根拠とする主権へのアダムの権原について

 『創世記』第一章二十八節をめぐって。

 フィルマーの「アダムは全世界の王であった」という教説にたいするロックの反論(p65)。

    1. 神は、『創世記』第一章二十八節における認可によって、アダムに、人間、彼の子供たち、彼らの種に対する直接的な権力を与えておらず、従って、アダムは、この聖勅によって支配者、あるいは王になったわけではないこと。

    2. この認可によって、神は、アダムに下等な被造物に対する私的統治権ではなく、むしろすべての人類と共有の権利を与えたのであり、従って、彼は、ここで彼に与えられた所有権のゆえに王になったのではないこと。

    第五章 イヴの服従を根拠とする主権へのアダムの権原について

 四九以下においてフィルマー説を反駁する。

    第六章 父であることを根拠とする主権へのアダムの権原について

 王政は神授権であるとみなす人の全教説の基礎をなすわれわれの著者のその命題を公平に扱うために他の論者がそれにどんな根拠を与えているかを聞いてみることにしよう(p109)。

 旧約聖書の引用を根拠として、ロックはフィルマーの説を反駁していく。

    第七章 ともに主権の源泉とみなされている父たる地位と所有権について

彼(フィルマー)が、将来の君主のために君主権力をもっともよく引き出すことができる根拠として主に強調しているのは、父たる地位と所有権の二つであり、それゆえ、彼は、生来的な自由という学説の不合理性と不都合性とを取り除くための方法として、アダムの自然で私的な支配権を擁護することを考案したのである(p144)。

「父たる地位」と「所有権」の明白な相違について(p145)。

    第八章 アダムの主権的な君主権力の譲渡について

 君主がその本源的な権力を得るのは、相続あるいは簒奪という方法によるとしている(p156)。

    第九章 アダムからの相続を根拠とする君主制について

 フィルマーの絶対王政が成立するための条件とは何か?(p163)

        1. アダムのその権力は、彼とともに消滅したのではなく、彼の死によって他の誰かに全面的に譲渡され、また子孫に対して同様な形で伝えられたこと。

        2. 現在の地上に存在する君主および支配者は、そのアダムの権力を、彼らにまで至る正しい譲渡の仕方によって所有していること。

    第十章 アダムの君主権力の継承者について

 アダムの継承者は一人か、複数か?→ フィルマーの不敬罪を示唆している可能性(訳注(1))

    第十一章  継承者は誰か

 一0八 われわれの著者が、誰が継承者であり、誰が神の定めによってすべての人間の王たる権利をもつかをわれわれに理解させるために、どのような注意を払っているかを吟味してみよう(p197)。

 以下、フィルマーの論証の失敗を延々と吟味していき、前編は終わる。

 

 

【参考】アクィナスの法理論の図解(再掲)

永遠法lex aeterna 神的理念

   ↓

 自然法 lex naturalis 被造物が分有するとき働く

  ↓

  実定法 ius positivum → 神法  聖書に書かれている神の法

                          人定法 → 教会法(カノン法)

                          国法

                       万民法ius gentium 古代ローマ以来の伝統

 

【参考文献】

    1 『ホッブズとセルデン』梅田百合香、思想 №1109(岩波書店)に所収

17世紀イングランドにおけるヘブライズム復興とホッブズの関係に関する論文である。興味深いのは、このピューリタン革命期のヘブライズム復興が、神権政治である古代イスラエルをモデルとし、国家と教会を統一しようというエラストゥス主義的な努力が国王の至上権を正当化する方向と、共和主義の勃興を支えるための方向の双方に影響したことである。

ロックには直接言及していないが、ピューリタン革命期に旧約聖書の君主制に関する論争があったことは時代背景として興味深い。なお、ロックは敬虔なキリスト教信者(プロテスタント)であった。