『モーセと一神教』 ジークムント・フロイト著/渡辺哲夫=訳

 

大まかに言ってこの本の投げ掛ける問いは以下である。

・モーセはエジプト人であった。

・したがって『出エジプト記』以前のユダヤ人の歴史と以降とでは断絶がある。

・『出エジプト記』以前のユダヤの民の神は「火の神ヤーウェ」でありモーセがエジプト人からもたらした神はエジプトのイクナートン教時代に発生した「アートン教」の神である。

・一神教は人間の発明である。(聖書によって説かれる神の創造した人間および世界とは相反する。→ダーウィンへの言及)

・フロイトは一神教の発生を心理学的見地から読み解いている。

・モーセがユダヤ人により撲殺されたという仮説

・この事実が後のキリスト待望の礎となった。

・心理学的な「父親殺し」の願望が罪の意識の源泉であり、父とは原始社会における王(したがって殺される王でもある)を象徴する。

・フロイトはユダヤ民族の末裔として、民族の歴史を記述した聖書及び信仰については慎重である。聖書の記述に対しては、他の資料も照らし合わせる事によって真偽を検証しようという姿勢をとるが、心理学的見地から、個人の心的事象を礎に伝承や神話も、科学も対等に扱っている。例えば「父親殺しの願望」も経験的に導かれた概念であり、その実在性は証明し得ない。フロイトは心理学的見地から宗教を解こうとするが、これは仮説の域を出る事はない。

 

Ⅰ モーセ、ひとりのエジプト人

「モーセMosesという男は、ユダヤ民族の解放者にして立法者であり、宗教創始者でもあったわけであるが、あまりにも遠い過去の存在であるゆえ、彼が歴史的に実在した人物であるのか、それとも、伝説の産物であるのか、という先決問題は避けて通れない。」(p.14)

「しかしながら、圧倒的多数の歴史家は、モーセは実在したと、そして、彼の実在と不可分のエジプト脱出も実際に起こったのだと言明している。もしもこの前提が容認されないのであれば、そののちのイスラエルの民の歴史は理解できないであろう、という妥当な主張がここにはある。」(p.14)

「周知のように『出エジプト記』第二章の文章はすでにひとつの答えを示している。そこには、ナイル河に棄てられた小さな男の子を救ったエジプトの王女が、 語源学的な根拠に基づいて彼にこの名前を与えたと記されている。「私は彼を自ら引き上げたのですから」と。」(p.15)

「歴史家たちの歩みを妨害したのが何であったのか、これを明瞭に理解することはできない。おそらくは、聖書の伝承に対する畏敬の念に打ち勝てなかったのであろう。」(p.18)

「O・ランクは(中略)『英雄誕生の神話』と題する論文を公表した。この論文は、「ほとんどすべての主な文化的都市の創始者、要するに彼らの国民的英雄を、詩や伝説のなかで賛美」してきたという事実を取り扱っている。」(p.19)

「そのため、生まれたばかりの子供は、たいていの場合、父親あるいは父親を代理する人物の指示によって、殺されるか棄てられる定めとなるが、常のことのように、子供は小さな箱のなかに入れられ水に流される。」(p.20)

「それはすなわち、民族全体の幻想がその人物を通じて英雄を見ようと欲しているのであり、その人物が英雄の人生の図式を満たしていたという事実を知らせようと欲していることになろう。」(p.22)

「モーセはひとりの――おそらくは高貴な――エジプト人であり、伝説によってユダヤ人へと変造されるべく運命づけられていた、という経緯が一気に明瞭になってくる。」(p.26)

「ここで述べられた二つの論拠が注目され、モーセがひとりの高貴なエジプト人であったという想定を真実だと見なす気持ちが生じるならば、その場合、大変に興味深くかつ広大なパースペクティブが現れるからである。(中略)モーセがユダヤの民に授けた掟と宗教に関する数多くの特質および特異性を根拠づけること が可能となろう。」(p.28)

 

Ⅱ もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば・・・

「そして、ユダヤ民族に新たな宗教を与えたモーセがエジプト人であったならば、このもうひとつ別の新たな宗教もまたエジプトの宗教であったとする推測は、それゆえ、否定できない。」(p.34)

「モーセはひとりのエジプト人であったとの想定が多方面にわたって豊かな力を発揮し解明力を示すであろうとわれわれは期待していた。しかしながら、彼がユダヤの民に与えた新たな宗教はモーセその人、つまり、エジプトの宗教であったと考えると、はじめの想定は、双方の宗教の相違を見つめるに至って、いやそれ どころか、双方の宗教のあいだの大変な対立を見るに至って破綻してしまったことになる。」(p.37)

「ところが、のちになってはじめて認められ評価されるようになったのだが、エジプトの宗教史にはひとつの奇妙な事実があり、これが、われわれになおもうひとつの展望を開いてくれる。」(p.37)

「夢想家イクナートンは民族の心から離反してしまい、その世界帝国を崩壊させてしまったが、モーセの精力的な本性は、新たな王国を打ち建て、新たな民族を見出し、エジプトから排除された宗教をその新たな民族に信仰させようとする計画へと向かうにふさわしいものだった。」(p.52)

「また彼ら(最近の歴史家達)は、後年にイスラエルの民を生んだユダヤの古い民族が、ある時点でひとつの新しい宗教を受け容れたことも認めている。」(p.60)

「ヤハウェはまちがいなく火の神であった。」(p.61)

「ゼリンは預言者ホセア(紀元前八世紀後半)の言葉のなかに、宗教創設者モーセが反抗的で強欲なユダヤの民の反乱によって暴力的に殺害された、との内容を告げる紛れもない伝承のしるしを見出したのだ。同時にモーセによって創設された宗教も捨て去られた。(略)まさにほかならぬこの伝承こそがのちの世のあら ゆるメシア待望の基盤になった。」(p.65)

「このようなわけであるから、この二人の人物をふたたびはっきりと区別し、エジプトのモーセは一度もカデシュにいたことがないしヤハウェという名前も一度も耳にしたことがなく、また、ミディアンのモーセは一度もエジプトに足を踏み入れたことがなくアートンについては何も知らなかった、と考えるのが妥当であ ると私は思っている。」(p.74)

「ヤハウェは割礼の掟をすでにアブラハムに要求していたのであり、割礼をおのれとアブラハムの子孫たちとのあいだの契約のしるしにした、と。ところがこれは特別に拙劣な作り話であった。」(p.80)

「それ以上に奇異な印象を与えるのは、神が突然にひとつの民族を「選び出し」、その民族をおのれの民族であると、おのれをその民族の神であると言明するとの考えである。」(p. 80-81)

「二人の宗教創始者、両者ともにモーセという同じ名前で呼ばれているが、われわれは二人の人物を互いに区別するべきである。」(p.93)

 

Ⅲ モーセ、彼の民族、一神教

緒言Ⅰ(1938年3月以前)

「宗教を人類の神経症へと還元し、その巨大な力をわれわれが治療している個々の患者における神経症性の強迫的な力と同じものとして解明できるとの結論に研究が立ち至ったとき、われわれは確かに、われわれを支配するもろもろの権力の強烈な怒りを身近に招きいれてしまった。」(p.98)

「抑圧という暴力的な方法は教会にとって決して無縁でないばかりか、むしろ教会は、教会以外のものがそれを使用すると自分の特権が侵害されたと感じるほどこの方法に縁が深い。」(p.98)

緒言Ⅱ(1938年6月)

「宗教的な現象はわれわれに馴染み深い個人の神経症症状をモデルとしてのみ理解されうる」(p.102)

 

A 歴史学的前提

「ユダヤの神の観念の最終的な成り立ちにとってモーセの影響を考えるのはそもそも必要であるのか、数世紀にわたる文化的生活のなかで大変に高度な精神性への自然発生的な発展が起こったに過ぎないと考えればそれで十分ではないのか、と。」(p.112)

「同じような状況が、異論の余地なく極めて高度の才能に恵まれていたギリシャ民族においては、この民族を一神教の成立へと向かわせることなく、多神教的宗教への弛緩した拡散と哲学的思索の開始へと向かわせているではないか。」(p.113)

「このちっぽけで無力な国民に、いったいどこから、自分たちを偉大なる主に選ばれた寵児であると称する不遜とも言える考えがやってきたのか?」(p.113)

「それゆえ、唯一神の理念はモーセによってユダヤ民族にもたらされたという明瞭な言明に賛意を表するのは、われわれにとっては容易な帰結なのだ。」(p.115)

 

B 潜伏期と伝承

「これまで述べてきた通り、われわれは、唯一神の理念も魔術的儀式の排除も倫理的要求の強化も、神の御名においてなされたとされているが実はモーセの教えであったこと、当初はこの教えに耳を傾ける者はいなかったが、この教えは、長い空白期が過ぎたのにちに力を発揮するに至り、ついには永続的な浸透力を得て しまったこと、を事実として確信していると公言する。」(p.116)

「たとえばの進化論のような新しい科学理論が辿る運命を取り上げてみたい。」(p.116)

「外傷神経症の問題とユダヤ一神教の問題のあいだに、双方の事例が根本的に異質であるにもかかわらず、なおひとつの点で一致が存する事実は、遅ればせながら、われわれの注意を惹かずにおかない。すなわち、潜伏と名づけてよい特性における一致。」(p.118)

「双方の勢力が持っていた共通の利益ある関心事は、彼らに昔の宗教があったこと、また、いかなる内容の宗教であったかということを総じて否認する点にあった。」(p.119)

「伝承は、歪曲せんとする秘められた意図の影響力に屈服することが少なく、多くの場面ではおそらくこれを完全に回避しており、そのため、文字で固定された報告よりも多くの、強固な真理をうちに含みえた。」(p.119)

「ユダヤ民族はモーセによってもたらされたアートン教を投げ棄て、近隣部族のバアルと大した違いもない別の神の信仰へと走った。(略)これがおそらくは暗闇のなかに隠され歪曲された伝承なのだろう。」(p.121)

 

C 類似

「かつて体験され、のちになって忘却された印象、われわれが神経症の病因論において非常に大きな意味をおく印象、これをわれわれは心的外傷と呼んでいる。」(p.126)

 

D 応用

「すなわち、人類の生活のなかでも性的・攻撃的な内容の出来事がまず起こり、それは永続的な結果を残すことになったのであるが、しかし、とりあえず防衛され、忘却され、後世になって、長い潜伏ののちに現実に活動するようになり、構成と傾向において神経症の症状と似たような現象を生み出すに至ったのだ、と。 (p.138)

「進化論が登場して以来、人類が先史をもっていることがもはや疑いえなくなった以上、そしてこの先史が知られていない、つまり忘却されている以上、このような論理的帰結はほとんど公準に等しい重みをもつだろう。」(p.138)

「ここに至って、欲動の断念、相互に義務を負うことの是認、犯すべからざる(聖なる)制度のはっきりとした制定、すなわち道徳と正義の誕生などによって特徴づけられる社会組織の最初の形式が成立した。」(p.141)

「トーテミズムに続くつぎの進歩は崇拝される存在の人間化である。」(p.142)

「しかし、つぎの歩みは、われわれがここで取りくんでいる主題、すなわち、唯一にして無比の、無制約的に支配する力を有する父なる神の回帰へと進んで行く。」(p.143)

「それだからこそ、信者が彼の神の血と肉を象徴的なかたちで体内化するキリスト教の聖体拝受の儀式がいかに忠実に太古のトーテム饗宴の意義と内実を反復していることか、と研究者が繰り返し驚いてしまうような結果になるのだ。」(p.144)

「信仰箇条は、確かに精神病の症状の性質を帯びているのだが、集団的現象であるがゆえに孤立という名の呪いをまぬがれているだけに過ぎない。」(p.145)

「タルスス出身のローマに住むユダヤ人パウロが、この罪の意識を「原罪」と名づけた。これは神に対する犯罪であり、死をもって贖われるほかないものであっ た。原罪とともに死がこの世に到来した。実際のところ、死罪に値する犯罪は、のちに神格化されるに至った原父に対する殺人行為であった。」(p. 147)

「この救済空想の完成には、恐らく、オリエントやギリシャの秘教からの伝承が影響を与えたのだろう。」(p.148)

「救済者が罪のないままにおのれを犠牲に供したという話は明らかに意図的な歪曲であって、これが論理的な理解を困難にした。」(p.148)

「ユダヤ教は父親の宗教であったのだが、キリスト教は息子の宗教に変貌をとげてしまった。」(p.150)

「多くの観点からみて、この新しい宗教は、古いユダヤの宗教に照らしてみるならば文化的退行を意味していた。」(p.150)

「もしモーセがこの最初のメシアであったとするならば、キリストはモーセの代理人そして後継者となるのであって、そうであればこそパウロもあた言わば歴史的正当性をもって諸民族に呼びかけることができたわけである。」(p.153)

「私は敢えて言明するが、おのれを父なる神の長子にして優先的に寵愛を受ける子であると自称する民族に対する嫉妬がこんにちなお他の民族のあいだでは克服されていない。」(p.155)

「彼らはこの新しい、彼らに押しつけられた宗教に対する恨みの念を克服できずに、この恨みの念を、キリスト教の源泉へと置き換えたのである。」(p.156)

 

E 難点

「著者としては、限定された知識から、若干のことを補記しておきたいが、マホメットの宗教創設の例はユダヤ教創設のひとつの簡略化された反復のように思われる。」(p.157)

「これはおそらく、ユダヤ教の場合に宗教創設者殺害が惹き起こしたような深化を欠いていたためであろう。」(p.157-158)

「忘却されたものは消滅したのではなく、ただ単に「抑圧されている」に過ぎず、その記憶痕跡は常に変わらぬ新鮮な生気を帯びて存在しているのだが、「逆備給」によって孤立させられている。」(p.161)

「抑圧されたものはすべて無意識であると言うのは正しいが、しかし、自我に帰属するものがすべて意識的であると考えるならば、これはもはや正しくない。」(p.162-163)

「まず、言語という象徴的表現の普遍性という事情がある。(中略)この象徴性は、また、言語の違いをも超越している。研究がなされるならば、この象徴性が遍在的であり、すべての民族において同一であることが明示されるであろう。」(p.167)

「早期の心的外傷に対する反応を研究すると、その反応が厳密には現実に当人が体験したものには即しておらず、むしろその体験から離れており、系統発生的な 出来事の典型に遙かによく似ており、総じて系統発生的な出来事の手本の影響によってのみ解明されうる、という事実にわれわれはしょっちゅう驚かされるので ある。」(p.168)

「人間が、彼らがかつてひとりの原父をもち、そしてその原父を打ち殺してしまったということを――独特のかたちで――常に知っていたのだ、と。」(p.170)

「このような反復のひとつがモーセ殺害であった。のちの時代には憶測に基づいてなされたキリストの処刑殺があり、これも反復のひとつであった。」(p.171)

「伝承とは、回帰してくるにあたって集団を呪縛してしまうほど強力な現実的影響力を発揮する前に、必ず一度はまず抑圧される運命に服さなければならず、無意識のなかに滞留している状態を耐え抜いてこなければならないものなのである。」(p.172)

 

第二部

要約と反復

「本当に感情を害する不快なものと危険なものを含む残りの部分、つまり、一神教の発生および宗教一般の把握に関する応用篇の部分の公表を私は差し控えた。永久に差し控えるだろうと私は思っていた。」(p.174)

(a)イスラエルの民

「古代において地中海沿岸に居住していたすべての民族のなかで、こんにち名前だけでなく実質においてもなお存続しているほとんど唯一の民族がユダヤ民族であることは知られている。」(p.176)

「ユダヤ人を創造したのはモーセというひとりの男であった、と敢えて言ってもよかろうと思う。」(p.179)

(b)偉大なる男

「この欲求の発生源は、すべての人びとに幼年時代から内在している父親への憬れにほかならない。」(p.184)

「それからユダヤ人はついにこの偉大なる男を打ち殺すに至るわけだが、これは、太古の時代に、神格化されていた王に対して掟として課せられていた王殺害という凶行のひとつの反復に過ぎなかった。」(p.185)

「幾世紀にも及ぶ絶えざる努力のなかで、そして最終的にはバビロン捕囚の前後の二度の大きな宗教改革によって、民族神ヤハウェが、モーセによってユダヤ人に押し付けられた神へと変貌して行く過程はとうとう完了してしまったのだ。」(p.186)

(c)精神性における進歩

「ところが、しかし、イスラエルの民は神からひどい扱いを受ければ受けるほどますます神に対して恭順に屈従してきたのだ。これはいったいなぜであるのか。これはいまのところそのままに立てておかねばならない問題である。」(p.188)

「ところでモーセ教の掟のなかには、一見しただけでは解し難い大変に意義深いひとつの掟がある。それは、神の姿を造形することの禁止であり、見ることのできない神を崇拝せよという強制である。(中略)なぜなら、この掟は、抽象的と称すべき観念を前にしての感官的知覚軽視を、感覚性を超越する精神性の勝利 を、厳密に言うならば、心理学的に必然的な結果としての欲動の断念を、意味していたからである。」(p.189-190)

「「思考の全能」は、知的活動の尋常でない促進をもたらした言語の発達にまつわる人類の誇りの現れである、と考えられる。」(p.190)

(d)欲動断念

「つまり、個人の発達の過程のなかで、外的世界のもろもろの制止力の一部が内在化され、自我のなかに、自我の残余の部分に観察し批判し禁止するかたちで対抗するひとつの審級が現れてくる。われわれはこの新しい審級を超自我と名づけよう。」(p.194-195)

「この欲動断念は、避け難い不快な結果のほかに、自我に、ひとつの快の獲得を、言うならば代理満足をも招来するのである。」(p.195)

「そこで、われわれは、神聖なものに大変強固に付着している禁止されたものという特性を出発点にしたいと思 う。」(p.200)

「その結論とは、神聖なるものとは、根源において、原父の持続的な意志以外のなにものでもない、ということである。」(p.202)

(e)宗教における真理の内実

「人間は、気高く高貴なものと低劣で俗的なものとを直覚する。物事を感受する人間の生命のありかたは、この理念からそのつどどれくらい距離をとっているかによって定められている。」(p.204)

(f)抑圧されたものの回帰

「われわれが探究している主題との連関を見失わないために肝に銘じておかねばならないのは、このような人生の経過と結末のはじめに常に幼児期における父親との同一化があるという事実である。」(p.209)

(g)歴史的真理

「ある宗教の成立に関する事柄には、もちろんユダヤ 教の成立に関しても同じなのだが、一切の出来事に何かしら偉大なるものがつきまとっているのであり、この偉大なるものは、これまでのわれわれの説明では手に負えない。」(p.213)

「すなわち、われわれはこんにち唯一の偉大なる神が存在するとは信じないが、太古の昔にひとりの比類のない人物が存在し、この人物はそのころ巨大な存在と 思われたに相違いなく、そして神的存在にまで高められ人びとの思い出のなかに回帰してきたのだ、とは信じる。」(p.216)

「このような影響力のひとつの実現こそ唯一の偉大なる神という理念の登場であったろうと思われるのだが、この影響力の所産は、確かに歪曲はされているもののまったく正当な記憶と見なされなければなるまい。」(p.217)

(h)歴史的な発展

「この罪の意識は、その理由が誰にも分からない重苦しい不快感となり破滅の予感となって、あらゆる地中海沿岸の民族の心を襲い占領してしまった。」(p.225)

「そして、パウロという男が、この真理の一片を、罪を贖うべくわれわれのなかにひとりの男がその命を犠牲として供したゆえわれわれはあらゆる罪から救済さ れた、という妄想めいた福音という偽装されたかたちでしか理解できなかったのは大変よくわかる話だ。」(p.225-226)

 

普遍をめぐる問い

 哲学か、宗教か?民族や歴史を超えて共鳴し合う事は一体いかなる事なのだろう?大まかに、ギリシャは数学や幾何学、哲学、メソポタミア(中 東)は一神教を発展させて来た。本日取り扱うフロイト著『モーセと一神教』は後者をめぐる問いを心理学者が著わしたものだが、本を読む限り、これはフロイ トの仮説ではないかと思わせる。フロイトは神を信仰していたのか、していなかったのか、ダーウィンの進化論を肯定してのか、いなかったのか、断言しておら ず、彼の心理学者としての理論と経験に基づいて宗教的テーマに対峙したと思われる。

冒頭に戻ると、一般的に哲学とは普遍哲学を指すと思われる。普遍哲学とは私の哲学(=真理)=あなたの哲学(=真理)を指向する探求であり、個人的な哲学 (生き方の指針など)を言うのではない。宗教はどうだろう?個人的に信じている神がいるかいないかであれば話はそれで済む。しかしこの世界を統べる唯一の神がいるかいないかであればそれは個人を超えた、全人類の問題である。