フレドリック・ジェイムソン『政治的無意識』(平凡社ライブラリー)

第3章「リアリズムと欲望」

〈序〉リアリズム小説によるブルジョワ的主体の形成

「過去から受け継がれてきた物語パラダイム、慣習的な行為あるいは行動様式中心の枠組み――は、形式としてではなく原材料として利用され、小説とはこの原材料にはたらきかけるものということになった」p264

「小説は常識的なものを異化し、予想だにしなかった「現実」の生々しさをつきつける。それまで、読者は、出来事とか心理とか経験とか空間とか時間とかの観 念を、過去の物語の慣習的形式から手に入れていた。そのような慣習的形式そのものを、小説は前景化するにいたる。」p264

→物語によって世界を把握してきたリアリズム以前の時代に変わって、リアリズムはそのような物語を「現実」をつきつけることによって異化しようとする。

 

「形式ではなく、プロセスとしての「小説」」p265

「このプロセスは、二つの点から評価できる。まず、読者の主観的姿勢の変容として、と同時に、新しい種類の客観的存在の産出として」p265

→読者は既存の物語(小説の原材料)による世界理解という主観的姿勢をリアリズムによって変容させられ、またリアリズム小説は「現実」によって旧来の物語世界を異化する客観的存在として新しく登場する。

 

「小説が重要な役割をつとめるのは、ほかでもない、ブルジョワ的文化革命と呼んでいい過程なのだ」p265

「批判し、分析し、脱聖化するといった、小説の主観性にかかわる使命のほかに、新たな任務が付け加わらないといけない。その任務とは、生活世界そのもの を、「指示対象」そのものを産みだすこと、しかも、これがはじめてであるかのようなふりをして産みだすことなのだ」p266

[ブルジョワ的文化革命において]「商品体系に支配される「神秘を剝ぎとられた」新しい世俗的な物質世界などがいまや、脱伝統的な日常世界ともども、また驚くほど「無意味で」不確かなものとなった経験的《環境世界》ともども、猛烈な勢いで産みだされつつあった――この変貌しつつある世界の「リアルな」反映 を、小説という新しい物語デイスクールが、その目標に掲げるようになるということなのだ」p266

→ブルジョワ文化革命において変貌を遂げた世界のリアルな反映を目標としてリアリズム小説は生まれた。

 

「人間の意識形態と人間の心理メカニズムは無時間的なものでもなく、いわんや、どこでも本質的に同じということもなく、状況に左右され、歴史のなかで産み だされたものだと、そう主張しはじめるならば、いま述べた小説的過程の二つの次元どちらにも、主体の問題が戦略的なかなめになるとわかるはずである。した がって、個々の物語の読者の受けとめ方とか、登場人物あるいは行為体に関する行為中心の再現=表象とかは、物語分析のなかでは一定不変の要素とはなりえな い。いや、それどころか、そうした要素そのものも、歴史化というふるいにかけねばならない」p266-267

→登場人物や行為体の行為も歴史的制約を受けており、それを歴史化する必要が生じる。

 

「ラカンの仕事は、「主体の構成」をなにより重視するため、オーソドックスなフロイト主義の問題機制を、無意識の過程とか障害とかいったモデルから、主体の形成ならびにその形成を可能にする幻想の説明へという方向に、ずらすはたらきがあった」p267

「ラカン理論は(略)脱中心化の対象として、自我、意識的な行動主題、人格、あるいはデカルト的コギトの「主体」を選び(略)、人格の統合とか、人格的同 一化の神話などにまつわるさまざまな理念を、どんどん切り捨ててゆくため、物語分析にとっても、新しい有益な問題の宝庫となってくれる。」p267

→状況(環境)や歴史的文脈から離れた完全に独立した主体の概念を脱中心化する道具としてのラカン理論。

 

「このつくられた主体は、まがりなりにも客観的現実になりおおせてしまった。というのも、行動のモナド的・自律的中心に個人の意識があるという捉え方は、いまや、生きた経験の一部となっていて、たんなる概念上の誤りではすませられなくなっているからだ」p268

「もはやその概念は、半ば制度化し、イデオロギー的機能を果たし、歴史的な因果律に左右されやすくなり、他の客観的な審級や決定因やメカニズムによって産出され支えられているのだ」p268

→独立した個人という概念はもはやイデオロギーであり、社会や歴史によって支えられ産出されている。

 

「分離された審級なりメカニズムは、具体的な媒介役となって、心理学とか生きた経験という「上部構造」と、法的関係や生産過程という「下部構造」を結びつける。この媒介役となるものを、《テクスト決定素》と名付けてみよう。これは半ば物質的な変換点をかたちづくり、そこを経由することで、ブルジョワ的個人の新たな主体性が産みだされ、制度化されるのだが、このとき同時に、純粋に下部構造的諸条件もまた複製し再生産するのだ」p269

[リアリズム小説は]「念入りに構成され、中心化されたブルジョワ主体あるいはモナド的自我をこしらえるための、戦略的要衝なのである」p269

→上部構造と下部構造は互いに複製・再生産しあう関係にあり、その媒介役としての《テクスト決定素》がブルジョワ的個人の主体、モナド的自我を産みだし、制度化する。