『われわれの戦争責任について』カール・ヤスパース(1946)

ちくま学芸文庫版(2015)を使用

 

【ドイツにおける精神的状況に関する講義の序説】

大学の現状、新たな自由

 ヤスパースによる大学の現状と、この講義の哲学的な動機について。

1 語り合うということ

・態度について。

「われわれは語り合うということを学びたいものである。つまり自分の意見を繰り返すばかりでなく、相手方の考えているところを聞きたいものである。主張するだけでなく、全般的な関連を眼中に置いて思索し、理のあるところに耳を傾け、新たな洞察を得るだけの心構えを失いたくないものである。ひとまず相手方を認め、内面的に試しに相手方の立場に立ちたいものである。いやむしろ自分と反対の説を大いに探し求めたいものである。」(p21)

・事実について。

「今日、いかなるドイツ政府であろうと、それが連合国の任命した独裁政府であると同様に、ドイツ人は誰しも、言い換えれば我々の一人一人が、今日、連合国の意志ないし許可によって、自己の活動範囲を与えられている。」(p27)

われわれにとって大きな危険をはらむ語らぬ態度(p30)

2 われわれ相互間の著しい相違

ドイツ人の間の相違。ナチズムに対する評価、苦難のありかた、信仰の喪失による差異など。また、連合国側の相違。

「これをさらに悪化させるのは、真に深くものを考えようとしない人の数が実に多いという事実である。」(p40)

3 以下の論述の骨格

    (一) 歴史は今ようやく本格的に世界歴史、地球の人類史となった。

    (二) 信仰の喪失または変化という一般的特性を背景として、ドイツ人としての問題への道を探求する。なぜナチズムは可能となったのか?

    (三) 災厄を意識したあとでドイツ的とは何かを問う

    (四) われわれにとってまだこれから可能なものは何か、という問い。

 

【罪の問題】

序説

 罪の問題に関する議論は種々の概念や立脚点の混淆に悩まされることが多い。(p51)

区別を行い、真の感情に到達することによって、この問題を扱うことが可能となる。

A  区別の図式

1 四つの罪の概念

    (一) 刑法上の罪

明白な法律に違反する客観的に立証し得べき行為において成立。

    (二) 政治上の罪

為政者の行為において成立。

    (三) 道徳上の罪

私一個人としてなす行為について、しかも私のすべての行為について(政治的および軍事的行為を含む)道徳的な責任がある。

    (四) 形而上的な罪

そもそも人間相互間の連帯関係があり、自分でできるだけのことをしなければ罪の一半がある。この罪は、ことのおこなわれたあとでも、まだ私が生きているということから私の上にかぶさってくる。

 「このように罪の概念を区別すれば、これに対する非難というものの持つ意味も明らかになってくる。」(p56)

2 罪の結果

    (a) 犯罪は処罰される。

    (b) 政治上の罪に対しては責任が問われ、その結果として償いが行われ、政治上の権力の喪失ないし制限を生ずる。

    (c) 道徳的な罪からは洞察が生まれ、罪滅ぼしと革新が生まれる。

    (d) 形而上的な罪の結果、神の御前で人間の自覚に変化が生ずる。

3 実力・法・恩赦

実力とは、対内的には法の強行、対外的には戦争のことである。

法とは、根源の上に現実生活を打ち立てる人々の抱く崇高な観念である。(p63)

恩赦とは、純然たる法と破壊的な実力との発動の結果を制限する行為である。

4 誰が判決を下すか、誰または何が判決の対象となるか

 弾劾というものの持つ意味を分類する。

    (a) 被告は外からすなわち世界からの非難と、内からすなわち自分の心のうちからの非難とを聞かされる。

    (b) 集団に対してはどのような意味から判断を下すことができるか、が問題となる。

民族全体は集団として適切か?

    (c) 裁く権利のあるのは誰か。

戦勝国は絶対的な優先権を持っている。他にはいるのか?

5 弁護

    一、 弁護は区別を要求することができる。

    二、 証拠たるべき事実を提出し、強調し、比較することができる

    三、 自然法に、人権に、国際法に訴えることができる

    四、 弾劾を武器として利用するような場合には、その点を指摘することができる

    五、 裁判官の忌避という形をとることもできる

    六、 逆ねじ的弾劾、相手方の行為も災厄発生の原因となっていたことを指摘する等

B ドイツ人としての問題

序説

一 ドイツ人としての罪の区別

 「はるかに重要なのは、われわれがいかにしてみずからわれわれ自身を照破し、審判し、浄化するかということである」(p83)

1 刑事犯罪

裁判がいかに遂行されるかが問題である。

「ニュルンベルクでは法が実現され、かくして土台が築かれたのだという信頼の念が世界に沸き起こる場合が考えられる。この場合には政治的な裁判が法律的な裁判に転じたわけで、今日打ち立てられるべき新たな世界にとって法が創造され実現されたことになる。」(p102)

2 政治上の罪

  ドイツ国の名において行われた犯罪に対しては、すべてのドイツ人がそれぞれ責任の一部を引き受けさせられる。

3 道徳上の罪

  良心と悔悟との発動を素直に受け入れるすべての人間に成立する。(p109)

 邪道におちいる可能性とは、

    (a) 仮面をかぶった生き方

    (b) 良心の錯誤のために生じた罪

4 形而上的な罪

道徳的な罪とは別の源泉をもった罪の意識。

「形而上的な罪とは、いやしくも人間との、人間としての絶対的な連帯性が十分にできていないということである」(p123)

5 概括

ⅰ 政治的に問われる責任と集団の罪

ⅱ 集団の罪に特有な意識

二 弁解の可能性

1 恐怖政治

ナチス政権下のドイツは牢獄であった。

2 罪と歴史的関連

 「われわれは原因と罪とを区別する。(中略)けれども原因は盲目的でかつ必然性に支配され、罪は目が見えて、かつ自由に立脚している。」(p147)

    (1) 地理的条件

    (2) 世界史的状況

3 他の諸国の罪

「われわれは、他の諸国の態度・行動を通じてわれわれの状況を内外両面にわたって困難ならしめた原因は何であったかをはっきり見極めなければならないし、また見極めて差し支えないわけである」(p157)

4 万人の罪か

三 われわれの罪の清め

序説

 個人の人格的な自己照破 → 民族としての自己照破

罪の問題において清めということに触れるのは、大いに意味がある。(P178)

1 清めの回避

    (a) 泥仕合

「泥仕合には生命の高まりがない。真に語り合うということが行われなくなる。これは精神的交流の一種の杜絶である。」(p182)

    (b) 身を投げ出すか横柄に構えるか

「それゆえ哲学的に見れば、いやしくも罪の問題を扱う場合に、第一に要求されることは、自己自身に対する内面的な行動である。敏感さをも告白衝動をも同時に消滅させる内面的な行動である。」(p184)

「決定的に重要な問題は時代を超えた根本的な事態にある。(中略)完全な敗戦状態にあって死よりも生を選ぶ者は、生きようとする決意がどのような意味内容をもつかということを意識しながらこうした決意にでるのでなければ、今やおのれに残された唯一の尊厳ともいうべき真実の生き方をすることができないということである。」(p186)

ヘーゲル『精神現象学』の主人と奴隷の弁証法への言及。

「いかなる形の横柄さにも攻撃的な沈黙が一つの契機となっている。相手方の掲げる理由・根拠が異論を挿む余地のないものになれば、これを避けようとする。」(p192)

    (c) 罪の清めを回避して、それ自体としては正しいが、罪の問題にとっては枝葉末節の特殊問題に逃れる態度

   もっとも無理からぬ回避は、自己自身の困窮を見つめることによって行われる回避。

    (d) 罪の清めを回避して一般問題に逃れる態度

道徳上の罪と形而上の罪には罪滅ぼしがない。よって、二つの道があり、次のうちの一つを選ばなければならない。

    1 われわれの良心のうちからは絶えず叫ばれている罪を引き受け、われわれの自意識の一つの基調となる場合。

    2 ただ漫然と生きる平凡な道に転落する場合

 注)ハイデガーのDas Manの考えとの相違点は?

 

2 清めの道

 行動的には、まず、償いを意味している。そして、罪を明らかにすることである。

「清めはわれわれの政治的自由の条件でもある。けだし罪の意識からは、自由の生まれるるためになくてはならない連帯と責任分担との意識が生ずるからである。」(p207)

 「世界の動向に眼を転ずるとき、われわれは預言者エレミヤを思い起こすがよい。(中略))

 神は存在する。これが唯一の不動点なのである。」(p210)

謙虚と節度とはわれわれの守るべき分である。(p211)

 

【1962年のあとがき】

 ヤスパースはニュルンベルク裁判について否定的な見解をとる。

「偉大な理念は、従来もそうであったが、理念として現れただけであって、現実としては現れなかった。裁判は世界法を持つ世界状態を樹立しはしなかった」(p221)

ロシア(ソ連)の判事は戦勝国としての振舞いしか見せなかったこと、そして戦勝諸国間の共通な法的状態と法的意志という土台が欠如していたためである。

 

【参考文献】

    1 ブルンヒルデ・ポムゼル他『ゲッペルスと私』(紀伊國屋書店、2018)

ナチス宣伝相の秘書として働いた一ドイツ人女性の、カメラの前の独白を中心に構成された書物。ドキュメンタリー映画のほうも観る機会があれば是非。

2 大沼保昭『国際法』(ちくま新書、2019)

  国際法のやさしい解説書が新書版で出版された。法学が専門でない方も、憲法の本と合わせて一読をお勧めする。