バルザック『「絶対」の探求 改訳』岩波文庫

 

小説の構成に則り、七章ごとに区切り概括します。

 

第一章(P6~36)、第二章(P37~81)、第三章(P82~122)、第四章(P133~195)、第五章(P196~270)、第六章(P271~332)、第七章(P333~348)

 

第一章(P6~36)

著者バルザックの視点から、フランドル地方の建築や人々の気質が語られ、クラース一族の歴史、さらに物語の中心的な舞台となるドゥエーのクラース分家の邸の内装、家具などの意匠の細密な叙述がある。

十九世紀におけるその邸の代表者で本作の主人公、バルタザール・クラース・モリナと、その妻ジョゼフィーヌとの間には、何やら曰くありげな不穏な空気が漂っている。

 

第二章(P37~81)

 一七八三年、当時二十三歳のバルタザール・クラースはパリに赴き、ラヴォワジェに師事し化学を学んだが、世界人の都であるパリに比したフランドルに郷愁を覚えて、帰郷する。

次に彼が始めたの花嫁探しであった。なかなか気に入る娘の見つからなかった彼だが、ある日ガン市の叔父の家で一座の議論の的となっていた、ジョゼフィーヌ・ド・テムニンク嬢のことを知る。彼らの話によると彼女は、不完全なからだつきのせいでせっかくの器量が目立たないが、一つの魂を持っており、叔父は、「もし自分が妻をめとる場合であれば、その魂あるがために彼女を妻に選ぶにちがいない」と断じた。というのも、彼女は近頃、弟の名にふさわしい結婚を願って相続した父母の遺産を彼にゆずり、自分の一生を犠牲にしたのだという。バルタザールはすっかり惚れ込み、彼女に近づいていく。不具の身であるという感情に縛られた彼女はなかなか彼を受け入れようとしなかった。際限の無い不安と不信の念が「バルタザールが奴隷女をひとり家につないでおくつもりで、自分と結婚したがっているのではないか」、「どこかに人知れない欠陥があって、仕方なく自分のような娘で我慢しようとしているのではないか」、という考えを彼女に抱かせたからである。しかし、ついにバルタザールが、彼にとってジョゼフィーヌが申し分のない女だということを証明してみせた時、内心のためらいと戦いつつも、彼女に恋を信じることなしにわが身を捧げることに偉大さを見出させた。結婚は一七九五年のはじめにとりおこなわれた。

「ムラのない気分と、生活のザラザラしたところをやわらげ溶かすいつも変わりないやさしさを保ちうる」(P46)バルタザールと「ほんのちょっと頭の合図があるだけでも、彼女をよろこんで死におもむかしめるところの、盲目的な狂信」(P48)のジョゼフィーヌが送る結婚生活は「感謝は双方から心の生活をゆたかにし、変化あるものにしていった。それと同じように、相手にとって自分はすべてであるという確信が、生活についてまわるほんの些細なことを大きなものに高める一方、ケチくさいものを締め出す」(P48)ものとなった。

「彼らは二人の息子と二人の娘をもった。総領はマルグリットという娘で、一七九六年に生まれた。最後のは三つになる男の子で、ジャン・バルタザールといった。」(P53)

一八○五年、ジョゼフィーヌの弟が亡くなり、彼の遺言によって約六万デュカが彼女に遺贈された。

しかし一八○九年の末、のちに一家の幸福をぶちこわすに至るバルタザールの変化が起こる。はじめは時々ぼんやりと考え込むという程度だったその変化も、ジョゼフィーヌを恐怖と悲しみに陥れるものに変わっていく。「かつて愛していたすべてのものに無関心となり、満開のチューリップの世話を忘れ、そして子供たちのことも、もはや考えなくなっていた。疑いもなく彼は、なにか心の情愛のそとにある情熱に身を任せているのであった。」(P59)

町のサロンやクラース家友人の間でもバルタザールの様子のおかしさは噂の種となり、彼らへのジョゼフィーヌの弁明をよそに、バルタザールは職工を雇い、何やら屋根裏部屋で働かせている。次第に丸一日をそこで過ごすような状態になってしまう。ある日、意を決したジョゼフィーヌが彼に詰め寄り、とりかかっている仕事の内容を教えて欲しいこと、「生活をともにしているのに、(中略)何一つ考え事をともにしていない」(P63)ことを訴えたが、再び化学をやりだしたこと、そんな自分は幸福であることを語るのみであった。

バルタザールが化学者となった冬から二年、かつて定期的な饗宴で賑わったクラース家は、ジョゼフィーヌのごく親しい友人でない限り誰も訪ねてこないようになった上、「上流社会の表面ていねいなあわれみ」(P65)を買うことへの怖れからジョゼフィーヌも邸にとじ込もってしまったため、次第にその友人らにも見捨てられることになってしまう。

「一家はまるで僧院のように、世間と交渉を絶ったかのごとく見えた」(P69)

ある日、さらなる打撃を与える情報がバルタザールの公証人ピエルカンからもたらされる。彼が言うところによると、バルタザールが所有地を抵当にして化学製品製造所プロテス・シッフルヴィル商会から、三十万フランの借財をしており、彼が財産を使い果たす前に防がねば、半年のうちに世襲財産は実際の値打ち以上の抵当に入れられてしまうのだという。ピエルカンの忠告を聞いたバルタザールの答えはこうだ。「自分は一家の名誉と幸福のために働いているのだ。」

いつ破産し、今の生活が失われるか知れぬ恐怖の中、ジョゼフィーヌはただ姉娘のマルグリットを、「じきに十六になるので、ジョゼフィーヌは娘をどこかりっぱな家と縁組みさせて、モリナ家やヴァン・オストロム・テムニンク家やカサ・レアル家と縁続きの娘にふさわしいように、彼女を上流社会の一員にしてやりたい」(P76)ことを望むのだった。

 

第三章(P82~122)

家具にまで嫉妬するほど追い詰められたジョゼフィーヌは、夫に窮状を訴えるも、「私は炭素を結晶させる方法を発見したようだ。明日になればわれわれの財産は無尽蔵だ」などと取り合わない。しかし、その夜に研究の目的を話させることは約させた。

この日は束の間の楽しい時間を一家は過ごすことが出来たが、ジョゼフィーヌの寝室で打ち明けられたバルタザールの目的とは、実に途方もないものであった。

 

○「絶対」の探求

 「アラビヤゴムや砂糖や澱粉は、粉末状態だとお互いまったく似かよったものになって、分析によっても同一の定性結果を生み出す」という事実から自然がつくりだしたものはことごとく同一の原素(プランシプ)を持っていたはずだという考えに到達。

現在、化学は造化を有機界と無機界とに分けるが、「これらの五十三元素には一つの共通な原素がある。この原素は、現今もう消滅しているある力の作用によって、すでに変化されてしまったものだけれど、しかし当然それは、人知によって復活せしめうるものだ」。それが果たされれば「われわれは一元的な化学をもつ」。(115)

有機界無機界はたぶん、四つの原素――窒素、水素、酸素、炭素を基礎とすることになる、仮に窒素を分解するにいたれば、もはや原素を三つしかもたないことになり、われわれは古代人の「三元」――中世紀の錬金術士に近づく。

→シュタールやベッハーやパラケルススやアグリッパらが合言葉の符牒としていたヘルメス神が「三元」なのだ(P119)

しかし、「三元」は一元的な化学、一定の方針を持ち合わせた分析方法の獲得なしにはとても発見され得ないだろうことを述べつつ、彼に「絶対」の存在を演繹させた実験の説明をする。

→田芥(クレッソン)の種子を硫黄華の中へ播き、育った茎を刈り取った上でその灰を分析すると、土壌とした元素、硫黄の中にも、灌漑に用いられた水の中にも、はたまた種子の中にも存在しなかった物質が得られる。と、なれば、育った田芥と、硫黄華や水、空気から得られる物質には、太陽がつくるがままの大気中にただよっている共通の要素――「唯一無二の力によって模様替えさせられたところのあらゆる創造物に共通なある物質」(119)の存在を仮定することによってしか、田芥の茎より見出だされた物質の説明は出来ない。

さらに彼は、この物質を提供した「絶対」を、探求し得るものと考え、その方法を説く。

→「『第一物質』は、かの三つのガスと炭素とに共通な一つの原素であらねばならない。『手段』は、陽電気と陰電気とに共通な原素であらねばならない。この二つの真理を確立するところの証拠の発見に向かって進め。しからばあらゆる自然作用の最高の理由をつかむことができるだろう。」(P118)

 

こうしたポーランド将校ヴィエジュホフニャの推論はバルタザールにとって「神が予言者イザヤの口に触れさせたもうた熱き火」であり、「今日ではだいたいの意味しか記憶に残っていない。けれどもその言葉にともなった力強い音声や、強烈な抑揚や、それに彼の身振りにこもった力が、私の心魂に徹した。ちょうどツチがカナトコの鉄を打つように、私の悟性を打ち叩いた」(P114)ものとなったのだ。

そこで、たった一晩の出来事を契機にすっかり変わってしまったバルタザールを前に、ジョゼフィーヌは嘆く。「おお、私の愛する人は殺されてしまった。私は、愛する人をなくしてしまった。……」(P125)

 

第四章(P133~195)

クラース家の間で結婚記念日の饗宴が企画される。その準備期間はバルタザールも屋根裏の実験室に戻ることもなく、またクラース家当主としての活気も取り戻したに見えた。

しかし、ロシアおよびベレジナ河における大軍団(グランド・アルメ)の敗北によってドゥエーの人々の間に悲しみが広がり、愛国的感情から舞踏は遠慮されることに決まる。が、その際ポーランドからドゥエーにきた手紙の中には、あのヴィエジュホフニャ氏からバルタザールにあてられたものもあった。彼は最近の一戦闘で受けた傷によりドレスデンで瀕死の状態にあり、「例の邂逅後に、『絶対』に関連して偶然思い浮かんだ観念のいくつかを、当時の宿のあるじに残したい」(P136)というのだった。バルタザールはそれを読んで、深い物思いに沈んだ。

夜会も滞りなく済んだが、あのヴィエジュホフニャ氏の手紙は、彼をまた化学の世界へと引き戻す。「それは観念に虐げられるあまり、起居動作の意識を奪われた男の姿であった。」(P138)バルタザールは、「ありあまる力のために悩んでいたのである。」(P140)

ジョゼフィーヌは週に二度のコーヒー会などを催して、クラース家を世間と没交渉の状態に戻すまいと努めるが、「主人役を上手につとめようとするバルタザールの努力、いかにも取ってつけたような愛敬、わざとらしい機知諧謔など、すべてが、翌日になると目に見えて疲労していることによって、彼の病のなみなみならぬ状態をしめすのであった。」(P141)

ジョゼフィーヌには、「バルタザールの精神の苦悩に対しては、それに無関心でいられるだけの十分の勇気があったが、彼の心の寛大さに対しては、無関心でいられるだけの力がない」(P142)。そのため、次第にバルタザールの研究を再び認めてしまう。その時のバルタザールの、歓喜に明るい顔を見て、ジョゼフィーヌは絶望に沈む。彼の研究に充てられる資金のために、邸のダイヤモンドはパリで全て売り払われた。その年の夏の末ごろにはその金も使い果たされ、バルタザールは二万フランの借財を新たにつくり、「莫大な金額を無駄に費やしてしまったという動かない事実が、彼を絶望させた。」(P148)

この結果を重く受け止めたバルタザールは、ジョゼフィーヌの前で自殺をほのめかすが、彼女の口から、指導者であるソリス師の提言により、画廊にある絵を売れば彼の借金はすべて無事に返金され、倹約の生活を送ればクラース家は破滅から救われるだろうことを聞く。すると、ジョゼフィーヌを慟哭させる言葉が返される。「私と『絶対』との距離はもう髪の毛一筋というところ」(p150)だから研究を続けさせてくれと。ジョゼフィーヌは病に倒れた。彼女はその中にあってすら、夫や子供たちの未来を慮り続ける。

九月の末ごろ、バルタザールは負債を返し、彼の財産を取り戻して、また仕事に取りかかった。「情熱のために盲目になっている」(P172)バルタザールをよそに、ジョゼフィーヌは、残された日々の中、ソリス師と共に破産を防ぐ手だてを講じていく。

そんな日々のうちに、頻繁に顔を合わせていたソリス師の甥、エマニュエルとクラース家の長女マルグリットの間には愛情が芽生えていく。

「バルタザールは妻の死病を、なんでもないただの不快と考えるほど、ひどく他に心を奪われていた。すべての人々には息も絶えだえの病人だったが、彼にとってはやはり生きてピンピンしている人だった。」(P180)

これは「夫婦の完全な別居」だった。(P180)

そして、来る一八一六年二月の末近く、ジョゼフィーヌに臨終の時が訪れる。公証人のピエルカンからもたらされた情報、バルタザールがまた地所を抵当に三十万フランを借りようとしていることを聞いたショックが原因のようなものだったが、ソリス師が彼女に臨終の秘蹟を授けているときに屋根裏の実験室から降りてきたバルタザールには状況が掴めない。彼は死に行く妻を前に激しく後悔するのだった。

 

第五章(P196~270)

ジョゼフィーヌ亡き後、彼女の遺産を見積もったところ、ピエルカンはその美貌に加えて潤沢な財産もちらつくマルグリットの結婚相手の座に着こうと画策し始めた。

現在は教師となり、十五歳になるガブリエルに対し、教鞭を取るエマニュエルもまたマルグリットを好いており、マルグリットもまたエマニュエルに対し、確信めいた感情を抱いてはいたが、社会的な地位や財産の差から、彼には夫として迎え入れられる機会などないと諦めを感じさせている。「すでにもう二人は、自分が相手のものであることを、お互いあまりにもはっきり感じるところから、われとわが身を恐ろしがっているように見えた。(中略)たとえ彼らが、もっとも臆病な恋人同士でもあえて見せ合うあの弱々しいけれど無限な、無邪気だけれど真剣な恋の証拠を、何ひとつ互いに与え合わなかったにしても、二人はしかし互いに他の心に宿っていたから、相手のために進んでもっとも大きな犠牲となろうとしていることを知り合っていた。そうした犠牲こそ、彼らが味わうことのできる唯一の歓喜なのであった。」(P209)

二人はガブリエルには将来が約束される理工科大学を出させようと考え、エマニュエルは彼の復習教師となった。

一八一七年の中ごろ、バルタザールの化学への欲求が再燃し始める。はじめは理論的な方面のみだったのが、戦争を経て後のヨーロッパの平和は種々の発見や科学上の思想の伝播を許し、そこから進展した化学界の諸相が、彼に「化学的『絶対』の解決を来すべき二つの発見、すなわち緒金属の還元と、電気の構成原理とが、自分ではない、ほかの誰かによって発見されるかもしれないという不安が、ドゥエーの町の人が気違い沙汰と称しているところのものを、いやがうえにもつのらせた。」(P223)

クラース邸の実験室の煙突から、再び煙が出始め、バルタザールが田舎に持っている地所は、すでに三十万フランの抵当に入っていた。

さらに、マルグリットは、ソリス師の後ろ楯によりドゥエーの高等中学の校長に任ぜられたエマニュエルからヴェーニーの森が山師たちに売られ、その時受け取った三十万フランはかつてのパリの借金を返すのに用立てられてしまったこと、。借金を皆済するために、森を買った山師たちの手で、借金残額の十万エキュにたいして十万フランの債務転付する義務を負わされたことを知らされた。

そんな危機的状況も、マルグリットの――クラース家の窮地から法典を繙き始めたエマニュエルや、ソリス師の友人の弁護士らが策を講じ、恥じたバルタザールも彼らの要求に従ったことで脱することができた。

しかし、バルタザールは「朝、ブランデー一杯のために妻を売り飛ばして、夕方それを泣き悲しむ黒人のように(中略)見さかいのつかない人間になっていた。」(P236)

一八一八年の十二月のある朝、バルタザールがチューリップのコレクションや前の家の家具、銀器類をすっかり売り払い、再び実験を再開したことを知ったマルグリットは、はじめて彼の濫費に対して咎める。

それから一月ののち、彼女は、父はまた借金をこさえ、街の商会には彼の署名入りの期限の迫る為替手形が10枚もあることを知る。もはや袋小路かと思われたが、マルグリットが手に取った母の手紙には、もしもの時のため十七万フランをエマニュエルに預けていること、さらに「ガブリエルやフェリシー、ジャンを守ることなら何をしても赦す」とあった。それこそ、「父のそばを離れてもよい」と。手紙の中には、ソリス師とエマニュエルの証書が封入されており、ジョゼフィーヌから自分達の手に託された保管金を、夫人の子供たちがこの書付を彼らに差し出すときには、子供たちの手に返すという約束の証書であった。

クラース家の逼迫を打ち明けられたエマニュエルは、その為替手形を支払いに行くと共に、助かった利子、支払いの後に残る七万フラン、ソリス師の残していったデュカ金貨を、バルタザールの寝静まった夜分、ジョゼフィーヌの元へ持ってくると約束する。

しかし、それらの財産はバルタザールに見つかってしまう。嘘を嫌うエマニュエルが、洗いざらい彼に話してしまったのだ。バルタザールはまたも涙に汚れた顔で「もし成功しなかったら、私は何もかもお前に任せてしまう」と誓いの言葉を言いながら実験のためとその金を要求し、ジョゼフィーヌは一度は拒否する。しかし、自ら頭に銃を突きつけて詰め寄るバルタザールに対し、マルグリットはついに折れてしまった。

 

 

第六章(P271~332)

バルタザールの実験は失敗し続けたが、父の打ちひしがれた様子を見ても、ジョゼフィーヌは「今度上手くいかなかったらすべてお前に任せる」という約束の釘刺しも忘れなかった。エマニュエルの後ろ楯と、伯父のコニンク氏が保証人になることにより、バルタザールにブルターニュの国庫収税官の仕事を見つけてきたのだ。バルタザールは邸を離れたがらなかったがついに決心し、ブルターニュへと旅立つ。「それはしばらく家を留守にすることではなく、追放だった。」(P290)

マルグリットらの奮闘で、クラース家は安定を取り戻していく。

一八二五年一月のはじめ、バルタザールが帰来し、子供たちや親しい人々との再会をまぶたを腫らして喜び、マルグリットの手によって邸の内装や装飾が「あの災難が影も止めず旧態に復している」(P318)のを見て感動に打ち震えた。そこで彼は、種々の証書への署名を済ませると、ピエルカンから以前の借金に対する受領証や、所有地の上にのしかかっていた抵当権登記の解除証書などを受け取り、「人間としての名誉、父親としての生活、市民としての敬意などを一挙に取りもどした」(P321)

こうして、クラース家に親しい人々や街の名士たちが数多く招かれたバルタザール帰宅とマルグリットとエマニュエルの夫婦財産契約の署名を祝うための晩餐会が執り行われ、「バルタザールが『絶対』の探求を忘れたのは、十六年来このとき一度だけであった。」(P324)

晩餐会の途、ルミュルキニエが実験室で生成されたと思しきダイヤモンドを見ても、この日の彼は、揺るがなかった。「きょうわしは、父親以外のものであってはならないのだ。」(P326)

一見平和と思われた日々がその後三年続いた。

 

第七章(P333~348)

一八二八年、エマニュエルがソリス家の様々な称号と、莫大な代承相続指定の相続人となり、マルグリットもその処理にと長く滞在せねばならぬだろう彼と共にスペインへ赴いた。

そこでは子宝に恵まれるなど、予定より長くなった滞在中の一八三○年、バルタザールが破産し、ガブリエルとピエルカンの二人は、邸の費用を弁じるため、月々千フランをルミュルキニエに渡してもいるという。

締め切られた邸の中では実験が続けられているに違いない。一八三一年の九月末、マルグリット夫妻はドゥエーに入った。マルグリットはガランとした邸を見て衝撃を受けたが、バルタザールはマルグリットの部屋に手をつけてはいなかった。彼女は泣き崩れ、父を許した。

その時バルタザールはルミュルキニエと共に外出中だったが、ドゥエーで「ダンテ、セルバンテス、タッソー、e  tutti  quanti(その他あるかぎりのもの全部)が死んだ時代の無関心さとかわりない残酷な無関心さ」(P339)の上に置かれていた彼は、街の広場で子供たちに嘲笑された上、泥玉を投げつけられてしまう。老衰した身体に過度の精神的ショックを受けた彼は、中風症の発作におそわれて、倒れてしまう。

彼は親族らに数ヵ月に渡って看病されたが、一八三二年の終わり容態が急変。

エマニュエルが彼を元気づけようと読み聞かせた新聞の記事、ポーランドの数学者が「絶対」を売却したことについての訴訟事件のことを聞いたバルタザールは、息も絶えだえの中立ち上がり、アルキメデスの有名な言葉――「EUREKA!」を叫んで息絶えた。