テオドール・W・アドルノ『プリズメン』(ちくま学芸文庫)

第8章「アルノルト・シェーンベルク 一八七四―一九五一年」

シェーンベルクの作品を初期から晩年へたどりながら論評する。

 

セクション1(p.219)

「シェーンベルクはもう時代おくれ」「十二音方式がもっている機能など、お構いなし」(220)

「彼は生を労働と余暇に分ける二分法に違反する。というのも彼は余暇に対して、これが余暇かと戸惑うような一種の労働を要求するからである。」(221)

 

セクション2(p.222)

シェーンベルクの音楽に対する「知性偏重という非難」(p.222)

「美的な前衛主義と保守的心情が並行している。彼は作品を通じて権威に壊滅的打撃を与えながら、隠れた権威から守るかのようにその作品を弁護したがり、最後には自らを権威に高めたがった。」(223)

「それは留まるところを知らず産出的で、ほとんど東洋的といっていいほど実り豊かである。」(224)

「完全に非ワグナー的に、彼の音楽は身も焼き尽くすような憧れからではなく、産出する陶酔から生じている」(224)

♪『浄夜』

 

セクション3(p.225)

「主知的だという非難は、旋律がないという非難と連れ立っている。しかし彼は旋律家そのものだった。彼は何度も繰り返されて慣れきった公式の代わりに、た えず新しい音型を産出した。[…]シェーンベルクの持ち前の音楽的反応様式そのものが旋律的なのである。彼においては、すべてが本当に『歌われる』ので あって、それは器楽の系列でも変わりがない。このことは彼の音楽に、分節されていると同時に自由に揺れ動き、最後の音にいたるまで組織されているものとい う特色を与える。」(p.225)

「最後まで作曲し尽くされている」(auskomponiert)(p.226)

♪『ペレアスとメリザンド』『グレの歌』

 

セクション4(p.227)

「ブラームス的様式をとるかワグナー的様式をとるかという問題は、シェーンベルクの場合さして重要ではなかった。」(p.227)

「彼は『理念』のために、したがって音楽的思想を純粋に示現するために、事象に先立って置かれ、外的な合意に定位するカテゴリーとしての様式の概念を、理 論的に退けると同様その実際の制作においてもつねに退けた。あらゆる段階において、彼に大切だったのは『何を』(Was)であって、『いかにして』 (Wie)、つまり淘汰の原理やプレゼンテーションの手段ではなかった。」(p.227)

♪『弦楽四重奏曲 作品7』

「中心的問題は、本質と減少の矛盾を制圧することである。豊かさと充実は、単なる飾りではなく本質にならねばならない。しかし本質はもはや音楽の衣をま とった硬い骸骨ではなく、具体的かつ明白に、その最も微細な諸傾向のうちにまで現れ出なければならない。彼が「皮下組織」(Subkutane) [subcutaneous]と名づけたもの、すなわち首尾一貫した全体の、なくすことのできない契機としての個々の音楽的生起の組織は、表皮を破って眼 に見えるようになる。」(p.228)

“the fabric of individual musical events, grasped as the ineluctable moments of an internally coherent totality” (translated by Samuel & Sherry Weber, 1981)

♪『8つの歌 作品6』第7曲「誘惑Lockung

「シェーンベルクの音楽は知的でないとしても、その代わりにそれは音楽的知性を要求する。その根本原理は、彼の表現によれば、展開する変奏の原理である。 現象するものは、その帰結を欲する。すなわち、さらに先へと駆りたてられ、張りつめられ、埋め合わせがつくまで解決されることを欲する。」(p.230)

 

セクション5(p.230)

(1)伝統と実験の弁証法

「一般的に言って、伝統の樹液に養われたものだけが、真に伝統に立ち向かう力をもつのであって、それ以外のものは、自分の力で片づけるにはほど遠い権力の 餌食になってしまう。といっても、伝統の結帯は歴史のなかに相次いで起きることの単なる類縁性ではなくて、地下に潜むものである。」(p.231)

「『伝統は、まず抑圧の運命、すなわち無意識のなかで滞留を耐え抜いてからでないと、それが復権したとき、大衆をその呪縛のなかに引き込むほど強力な作用を発揮できない。』」(p.232、フロイト『モーゼと一神教』を引用して)

「宗教的伝統だけでなく、美的伝統もまた無意識の、いや抑圧されたものの想起である。伝統が実際にその『強力な作用』を発揮する場合、この作用は眼に見え て明らかな、直線的な継続の意識から出てくるのではない。それはむしろ、無意識のうちに想起されるものが連続性を打破するところから始まる。伝統は、実験 的と罵られた作品のうちにこそ現前するのであって、意図して伝統主義的につくられた作品のなかに現前するのではない。」(p.232)

「最近二百年の音楽の表面全体には、シェーンベルクによって生産的な批判が加えられている。しかし伝統的な偉大な音楽において重要なのは、これらの要素 [音響素材、和音、旋律法など]そのものではなかった。重要なのはむしろ、それらが楽曲として構成されたものという特殊な音楽的内容のプレゼンテーション において一つの厳密な機能を引き受けたということだった。表向きの表面(ファッサード)の下には、第二の潜在的な構造があった。」(p.232)

「この関係[表面の構造を通して第二の構造を察知するという関係]は、主体性の社会的解放によって、非常に不確かになり、最後には二つの構造が相互に分裂 するまでになった。シェーンベルクの自発的生産力は、客観的に歴史がくだした判決を執行したにすぎない。すなわち彼は潜在的構造を解放し、顕在的な構造を 除去した。こうして彼はまさにその<実験>において、そこに現れてくるものがいつもと違っていても伝統の相続者となったのである。」(p.233)

(2)主体と客体の弁証法

ブラームスがダメな点:主体的なものを客体化する働きがブラームスにおいては無拘束なものに陥っている。客体化の作用が空回りして、音楽的素材が自分に抵 抗するということに十分に関わっていないために、一般に爆発的な衝動を否定してしまっている。ロマン主義的な個人的なものは、「処理」との平衡状態におか れてしまい、そこから対立を相互に浸透させる代わりに賢明にもなだめてしまう(p.233

234)。

シェーンベルク:主体的衝動の客体化は、「緊急の問題」。「たとえ変奏する動機的主題的処理はブラームスに学んだものだったとしても、シェーンベルクにお ける主体的なものの客体化が鋭さを獲得する手段であるポリフォニーは、まったく彼独自のものであり、文字通り、二百年来埋もれていたものの想起である。」 (p.234)

「[古典主義の時代では]人々はまだ客観化の仮象に甘んじていられたし、社会も諸々の主体が気ままに共演するのを保障してくれるように見えたのだが、音楽 的主体の自律が他のすべての関心を上回り、旧来の客体化の形態を批判的に排除したのである。今日では、こういう直接的な主体性はもはや最高のカテゴリーと して支配していないし、それは社会全体として実現されねばならないものであることが見抜かれている。こうした現在になってはじめて、全体をそれ自身のうち で融和させることなしに主体を全体へと拡大するベートーヴェン的解決の不十分さ自体が認識可能になる。ベートーヴェンにおいては、展開部は≪エロイカ≫の 高さにおいてさえ『劇的』なものにとどまり、完全に作曲され尽くされないままになっている。だが、シェーンベルクのポリフォニーは、その展開部を、客観的 に組織された多声性のなかでの主体的な旋律的衝動の弁証法的展開として規定している。」(p.235)

 

セクション6(p.236)

展開する変奏(developing variation)

♪『室内交響曲第1番』

「この室内交響曲は、通奏低音時代いらいの音楽の基層である<ラップレゼンタティーヴォ様式>、すなわち人間の私念する言語への音楽言語の適応とはじめて 関係を絶つ。ここで初めてシェーンベルクの暖かさは冷たさの極へと転化し、その表現は無表情そのものとなる。」(p.237)

♪Stile rappresentativo モンテヴェルディのマドリガル『アリアンナの嘆きLamento d’Arianna』

 

セクション7(p.238)

(皮下組織的契機の追求という意味では)大きな進展/変化がない時期

♪『室内交響曲第2番第1楽章』

♪『弦楽四重奏曲 作品10』

♪『架空庭園の書(ゲオルゲ歌曲集) 作品15』

 

セクション8(p.241)

ゲオルゲ歌曲集とともに<自由な無調性>の時期が始まる。

シェーンベルクの矛盾

「シェーンベルクはたしかに、個々の音から大形式のパターンにいたるまで、音楽語彙を転覆した。しかし彼はその後も古いイディオムを語り続けていたし、単 に発生的にだけでなく意味の上からも、彼が除去した手段と合体している種類の音楽組織を何とか得ようと努めていた。こうした矛盾はシェーンベルクの発展を 妨げるというよりも、むしろ促進した。」(p.241)

「音楽的連関のお馴染みのカテゴリー――例えば主題、継続、軋轢、大団円といったカテゴリー――は、彼が解放した素材にはもう合わなくなる。」(p.242)

 

セクション9(p.243)

シェーンベルクの「芸術敵視」(p.243)とそれによる矛盾

「『自分のために像を造ってはならない』という神の言葉への服従が、映像を持たない芸術である音楽のなかから模写的・審美的手法を完全になくしたがってい るのである。しかし、この手法は同時に、シェーンベルクのあらゆる音楽的思想がそのなかで思考されているイディオムの性格なのである。彼はこの矛盾に苦し められた。彼はつねに――十二音時代になってからでさえ――隠ぺいする音楽的諸層を忘れよう、それを撤去しようと英雄的に奮闘したが、音楽的イディオムは いつもこれに対して頑強に自己を主張した。そのため、装飾の削減のあとには、いつもまた豊かに織りなされた複雑な作品が続き、それらの作品のうちで音楽言 語は、音楽言語がついさっきまで手を切りたいと思っていたものになるのだった。」(p. 243

244)

♪『五つの管弦楽曲 作品16』

♪『月に憑かれたピエロ 作品21』第18曲「月のしみDer Mondfleck

 

セクション10(p.246)

ひきつづきシェーンベルクの沈滞期

「彼の権威主義的本質は、首尾一貫して厚かましくも全音楽の原理の役を買って出る当の本人が自分自身にその原理を指令し、それに服従しなければならない、 といったふうのものである。彼の音楽における自由の理念は、単なる個体性を超えて自己を客観化しようという努力が失敗したからといって他律に服したがる絶 望的な欲求によって阻止されている。彼の音楽が客観となることが内的に不可能なことは、その美的総括の強引な手法にはっきりと現れている。彼の音楽は真に 自分の外に出ることができない。そのため、この音楽がそれを旗印として脱出を試みる自身の恣意を、おのれ自身に勝る権威に高めざるをえない。偶像破壊者は 物神崇拝者になる。合理的に透明であり、それにもかかわらず主体を内包する音楽の原理は実現をはばまれ、抽象的なものとして、こわばった有無を言わせぬ指 令に変貌する。」(p.250)

 

セクション11(p.250)

長期にわたる創作の休止のあと、「これまで作曲家として皮下組織的なものを外へ向けてきたその人が、今度は皮下構造が眼に見えるようになり、上演が音楽的連関の総体的実現となるようなプレゼンテーションの在り方を見出して、後世に伝えることになった。」(p.251)

「しかし、後期のシェーンベルクが十二音方式こそが包括的全体を保障するものだとして、この方式を頑強にすればするほど、それはアポリアを元の位置に押し 戻すだけだった。[…]すべての芸術作品は力の場であり、思考の遂行が論理的判断の真理内容から切り離すことができないように、芸術作品もその質量的諸前 提を超える限りにおいてのみ真だからである。技術的・美的体系が認識の体系と共通して持っている妄想的な要素は、たしかに美的体系にその暗示力を保障す る。それによって、それらはモデルとなる。しかし、それらの体系が自己反省を拒否して、それらは死んだも同然のものになり、以前にその体系を生みだしたあ のほかならぬ衝動は萎えてしまう。二つに一つで、その中間はない。体系のうちに凝結したさまざまな洞察を無視することは、時代後れとなった古いものに力弱 くしがみつくことにつながる。しかも体系そのものは固定観念になり、万病に利く万能の処方となる。」(p.251-252)

「間違っているのは、その方式自体ではない――今日では、十二音技法への引力を自分の耳で感じるという経験をしなかった者は、もう作曲できないのは確かで ある――。そうではなく、この方式を実体化すること、分析的にそのなかに封じ込められない別な方式を拒否することが誤りなのである。音楽は、主観的理性の 一片にすぎない方法を、事物そのものとして、客観的なものにすりかえてはならない。」(p.252)

「シェーンベルク自身にとっては、彼が音楽言語の伝統に束縛されていたことが役立った。彼が十二音方式によって組織した音楽は極端に複雑なもので、こうい う支えを実際に必要とした。彼の後の人々においては、この方式は次第にその機能を失って、単なる調整の代用として誤用されている。仰々しく扱う必要がない ほど単純な音楽的現象を互いに接合するには、それで十分なのだ。とはいえ、この方向転換についても、シェーンベルクはまったく潔白ではなかった。彼はとき どき十二音のジーグや十二音のロンドといった、十二音技法が規定過大となるような形式の音楽を書いた。」(p.253)

 

セクション12(p.253)

「十二音技法の潜在能力はまだ前途洋々としている。この技法は事実、完全に自由な方式と完全に厳密な方式との総合を可能にした。主題的処理が素材[=音 列?]を完全に支配しぬくことによって、作曲そのものは現実に主題のないもの、『散文』になってもよく、しかもそれを超えて偶然性に堕すことがない。とこ ろがシェーンベルクが、ただ素材だけを前もって決める十二音列に大形式の音楽を創る能力があると信じるとなると、この作曲方式の物象化がはなはだしくな る。」(p.254)

「潜在的な組織と顕在的な音楽の矛盾は、より高い段階で再生産される。その矛盾を封じるために、シェーンベルクは伝統的な形式手段に必死で訴える。彼は十 二音技法に一種の普遍概念的秩序としての客観性を無理に押しつけるのだが、もともとこの技法はそういう客観性をもつものではないから、結局彼はそういう秩 序のカテゴリーを外から、素材にお構いなしに取り入れざるをえなかった。」(p.254)

「十二音で書かれた大きな楽章の多く、とくにアメリカ時代のそれは、たしかに成功だった。しかし最善の楽章は、十二音音列も伝統的タイプも当てにしていなかった。」(p.255)

♪『ヴァイオリン協奏曲 作品36』第1楽章

 

セクション13(p.256)

「十二音技法の正典外的要素の追放」(p.256)

♪『管楽五重奏曲 作品26』

「あらゆる表面的構造の否定という、このシェーンベルクの禁欲の後期形態は、容易にすべての音楽次元一般に拡大して考えることができる。[…]『皮下組織 的なもの』を実在と化すことによって音楽的演奏の終焉も見極めがつくようになる。文字を読むことが話すことを不要にするように、沈黙して空想のなかで音楽 を読むことは、音を出す演奏を不要にするかもしれない。[…]芸術の成人化と精神科が感覚仮象とともに潜在的に芸術そのものを滅ぼすというのと、ほとんど 同じ事態に行き着く。」(p.258)

♪『室内組曲 作品29』(「喜々として晴れやか」(p.259))

♪『管弦楽のための変奏曲 作品31』(「ほとんど教育的」(p.259))

 

セクション14(p.260)

「晩年のシェーンベルクは、作品の代わりに可能的な音楽の範例を作曲した。音楽の理念は一層透明になり、それにつれて作品はますます音楽の外観に固執しなくなった。」(p.262)

♪『ワルシャワの生き残り 作品46』

「音楽において恐怖がこれほど真実に聞こえたことは、これまで一度もなかったほどである。そして、恐怖が知れわたることによって、音楽はふたたび否定の力による、その救済力を見出すのである。」(p.263)