金井美恵子『柔らかい土をふんで、』(河出文庫)

はじめに

・長大なワンセンテンス

例:「柔らかい土をふんで、…猫がやって来るのが見え、…黒トラの柄の猫は…水を舐めはじめる。」(9~14)

そのなかに「朝日のあたっている煉瓦で周囲を敷きつめた池のはたでたちどまり、…と彼女は笑いながら話したものだったが、…煉瓦の縁に腰をおろして…素足を湿った煉瓦に載せ、…青白い光を反射する水面に彼女の青白い顔が映り、…私は微かに声をたてて笑い」(10~14)や池周辺の描写や彼女の着ているサマー・ドレス等の描写が入る。

→「誰が何をしているのか」「誰による描写か」が不分明になっていく。

 

    • 映画の場面の挿入

「西部劇」(19~20、116~118(二つは別作品かもしれない)

「金髪の娘と出納係の日曜画家」の映画『牝犬』『スカーレット・ストリート』(例えば49?、56~64、85~88、127~129、165~175、178~181、183~184、194~199、248~251)

さらに「金髪の娘が読む小説」(174~175、181~183、191~192)も登場

『スカーレット』(フリッツ・ラング)は『牝犬』(ジャン・ルノワール)のリメイク。差異と一致。

「女主人公が金髪」なのは『牝犬』。『スカーレット』はもっとダークな色。

「女主人公と女友達の会話」は『牝犬』。ただ一致しない細部もある。

初めての出会いのとき雨が降っているのは『スカーレット』

「左肘にうでをまわす」(『スカーレット』11:24くらい)

「何度もアイスピック(ナイフではなく)を突き刺す」のは『スカーレット』。カメラが移動するのは『牝犬』(『牝犬』の凶器はペーパーナイフだが、刺す場面は描写されない)。

「出納係が水を飲み干す」のは『牝犬』。

※語り手?の想起において、ときに両作品は混同され、記憶違いが起こる

「ナイフのような長い顎をもつスパイ」の映画『外套と短剣』(例えば136~144、145~148、150~152、152~154、155~159、163~164)

ただし「外套と短剣」章の記述はまるきり同映画と同じではない。

187~194も何かの映画のようだが、わからない。

→「現実と空想の境界」が不分明になっていく。「でも、これは小説のなかだからおこることなのよね、でも、現実にだっておこらないとはかぎらない。」(175)

『外套と短剣』には「ジーナ」がワンピースにショールを羽織る場面(1:02:06)、小花柄のサマー・ドレス(白地ではなく、複雑でもない)を着ている場面(1:14:00あたり)あり。「二階からボールが落ちてくる」のは1:27:30くらい。

『外套と短剣』と『スカーレット・ストリート』には「なんでそんなにあたしを見るの?」(52)と聞く場面あり。

「道を過ちかけた若い娘が、最終的には彼女を一番深く愛している青年の真実の愛を発見して結ばれる」(190)

 

・『オペラ・オペラシオネル』(蓮實重彦著)の引用

137~159ページに現れる山カギカッコは『オペラ』からの直接の引用。

その他、モチーフとして

「首都」(蓮15、金154、金157)

「左肘に腕を絡ませてくる女性」(蓮15、蓮72、金112)

「ぶよぶよとした手」(蓮69~71)

この作品自体も「差異を含んだ反復」によって成り立つ。

 

・「星は(も)光りぬ」(プッチーニ『トスカ』、227)

 

・執拗な細部の反復

「ラフィット・ヤーン」(27、28、35、41、64)

「ヘヤーピン」(13、42、50、55、69、102(ピン)、121、177(ピン)、244)

「柔らかい土をふんで、」(9、109、252)

「姫睡蓮」(10、12(小型の睡蓮)、29、80、115、237、241(小型の睡蓮)、

「八重咲きのクチナシ」(29、114、212、217、221、224(一重咲きのクチナシ)、227(一重のクチナシ)、229、238、244

「誘蛾燈のぼうっとした青白い炎」((10)、12、46、74、89、(115)、218、241、251)

特に46、74、251の反復のもつ圧倒的既視感。

「ギリシアの円柱」(50、51、68、69、122、147、155、161、177)

「灰色」「オレンジ色」「茶色」「オリーブ・グリーン」といった色彩

「黄色のサマー・ドレス」をめぐる記述:別紙

→意図的な記述の反復。しかし細部に違いもあり。

同じ細部が複数の場面に登場する。場面同士の境界を曖昧にする。

「長い退屈な時間…の反復に耐えること」(160)

「何度も何度も思い出さなければいられないのだろう。」(199)

 

二つのストーリー

    • 「私」と「彼女」の別れ

「私」(年配、喉が渇く、頭痛)と「彼女」(汗っかき、サマー・ドレス、ヘアーピン、ウェーブのかかった髪)は一時期暮らしていたが、すれ違いが大きくなり、手紙を置いて「彼女」は出て行ってしまう。「私」は「彼女」にやり直しを求めた手紙を送り、待ち合わせの場所に行くため、列車に乗り、街に出る。しかし「彼女」は現れない。「彼女」と連絡を取り合うものの、再会のめどはたたない。(「彼女」はじつは既婚者で、家を出奔してきた。不倫していた時に「私」と知り合ったよう。べつの年下の男と結婚している/する?)

「黒い毛皮の彼女との過去のデートの記憶」(75~76、104~106、111~112、132~133、148~150)

「偶然あった時、彼女の過去」(78~81)

「彼女の愛人のヨット」(75~76、81~82)

「雨の夜の密会」(83~85、88~89、175~178、199)

「別れの予感」(135~136、162、163)

「置いてきた子供」(21、106、108)

※「私」が列車に乗る場面と「スパイ映画」の列車に乗る場面がモンタージュ?される

※「私」と「彼女」の雨の夜の密会の場面が「金髪の娘と日曜画家」の最初の出会いに重なる

 

    • 「私」の「叔母さん」の恋愛悲劇

「私」の「叔母さん」が両親に内緒で、映画鑑賞と称して「その人」(?)と会う。ある時家出をして、療養所で知り合った「その人」との心中を考えるが、果たされず、帰ってきた?(むしろ別れを告げにいった?)。また何かその前にも恋愛関係で「つらい目」にもあっていたらしい。叔母はかつて幼い頃に、同じように大水となった際に、「おえい」おばさんが痴情の縺れから自殺したのを目撃。

「堀川の身投げ」(26~28、37~41)

「おえいさんの死」(28~30、237~241)

「映画鑑賞」(33~35、120~123、125~127、130~132、133~135、222~228)

※「叔母と女友達」の会話が「金髪の娘」映画の「女主人と女友達」の会話と重なる

※「汗っかきのおえいおばさん」と「汗っかきの彼女」が重なる

二つのストーリーの「私」は同じ?違う?