ジグムント・フロイト『夢判断』(高橋義孝訳:新潮文庫、2005年)

第2章 夢判断の方法―ある夢実例の分析

「夢には実際に『意味』がある」「今日世間に通用している学問よりも、昔からの、頑固に信じられている民間の迷信のほうが事の真相に肉薄しているように思われる」(p172)

「夢そのものを一病的症状のごとく取扱い、精神病のために編み出された解釈の方法を夢に適用してみたらどうかと考え始めた次第であった。」(p174)

「患者は第一に心的知覚に対して注意力を緊張させ、第二に自分の脳裡に浮かぶ想念に対していつものように批判を加えることを全然中止しなければならない。」(p174)

 

夢1(p183-187):フロイト自身の夢。

イルマ=フロイトの患者、若い女性。

オットー=医者。フロイトの友人、フロイトによるイルマの治療について非難した。

ドクターM=フロイトとオットーの指導者。

レーオポルト=医者。オットーの親戚。

X=かつてフロイトとトリメチラミン(トリメチルアミン)尿症は性的新陳代謝の産物だということについて議論した。

Y=フロイトが尊敬する鼻の専門医。

夢の結論:「現在のイルマの苦痛に対しては私は責任はないということ、それから、その責任はオットーにあると言うこと」(p205)「夢というものは、ある一定の状況を、私が願わしく思うようなふうに表現する」「願望充足」(p205)

 

「私の責任を解除するという一目的を持ったこれらの説明が相互の間で一致せずちぐはぐなことには気づく。それどころか、これらの説明は相矛盾する。これらの異論全体は―この夢はまさにそうい う異論抗弁にほかならない―隣の人から釜を借りて、その釜をこわれた状態で戻した男の釈明を思い出させる。第一に自分は釜をなんら損ずることなく返却した。第二に、釜は、借りてきたときにすでの穴があいていた。第三に、己は隣の人からそもそも釜は借りなかった。しかしいっそううまいことは、もしこれら三つの釈明のうちひとつでももっともだと容認されたならば、この男に罪はないことになるのだ。」(p207)

 

「今ここに示されたような夢判断の方法を採用するならば、夢は実際にひとつの意味を持っており、在来多くの研究家たちが考えたように、決して支離滅裂な脳活動の表現ではないということがわかる はずである。夢判断を終わってみると、夢というものがひとつの願望充足であることがわかるのである。」(p209)