ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』(岩波文庫)

 

第一編「ここでは、いかにして人間が自然状態から社会状態に移るか、また社会契約の本質的諸条件はいかなるものであるか、が探究される」

「わたしは、人間をあるがままのものとして、また、法律をありうべきものとして、取り上げた場合、市民の世界に、正当で確実な何らかの政治上の法則がありうるかどうか、を調べてみたい。わたしは、正義と有用性が決して分離しないようにするために、権利が許すことと利害が命ずることを、この研究において常に結合するように努めよう。」(14)

    • 原理的考察をめざす

    • 「べき」論にのみ傾きすぎることを避ける

1-1 第一編の主題

自由なものとして生まれた人間が、なぜいたるところでドレイとなるのか。支配-被支配の関係をもたらす社会秩序は自然に由来するのではなく、約束に基づく。

1-2 最初の社会について

    • 最も原初的な社会は家族。家族は「必要」(=有用性)に基づいて、約束によって維持されているのであり、自然なものではない。

    • この「必要」とは「自己保存をはかること」。この目的のため子供は父親に服従する(=自己の自由を明け渡す)

1-3 最も強いものの権利について

力あるものの権利、力なきものの服従の義務なるものは、暴力から導かれるものに過ぎず、ナンセンスである。暴力に基づかない「権利」「義務」について考えよう。

1-4 ドレイ状態について

約束のみが人間のすべての権威の基礎である。そして「約束」である以上は「一方に絶対の権威をあたえ、他方に無制限の服従を強いるのは、空虚な矛盾した約束なのだ」(22~23)。

だから、絶対的なドレイ状態、自由の放棄は「人類の権利ならびに義務をさえ放棄することである」(22)。「ある人にすべてを要求しうるとすれば、その人から何の拘束もうけないことは明らか」(23)→「約束」とは互いに拘束しあうことである。それゆえ約束は絶対的ではありえない。グロチウスへの反論。

1-5 つねに最初の約束にさかのぼらなければならないこと

専制政治は約束ではない。集合だが結合ではない。専制君主の利害は「他の人々から切りはなされているのだから、やはり私の利害でしかない」(27)

→他者の利害に拘束されることが結合を作り出す

1-6 社会契約について

自己保存への必要から人間は協力しはじめた。しかし協力によって各人の自由は害される。

「各構成員の身体と財産を、共同の力をあげて守り守護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人が、すべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること。」(29)社会契約がこれを解決する。

その根本的な条項とは「各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体にたいして、全面的に譲渡すること」。(30)すべての人の条件は等しくなり、特定の誰かに権利が集中することもない。「各人は自己をすべての人に与えて、しかも誰にも自己を与えない。」各人は同じ権利を交換し合い、それによってより強大な力をえる。

「われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。」(31)全体は「共同の自我」を形成する。それは受動的には「国家」能動的には「主権者」。構成員は、全体としては「人民」、個々人は「市民」であり「臣民」。

1-7 主権者について

臣民を主権者にたいして義務付ける社会契約によって、主権者自身を義務付けることはできない。それゆえいかなる社会契約も全人民という団体に義務を負わすことはない。しかし、主権者が社会契約によって生まれる以上は、それに反することはできない。また主権者はそれを構成する臣民の利益に反することもできない。

これに対し、臣民はしばしば公共の利益に反する「特殊意志」を持つのであるが、そこでも一般意志に(のみ)服従するよう求められる。これはしかしその人の自由を確保することである。この約束によって「市民は自由であるように強制される…なぜなら、そうしたことこそ、各市民を祖国に引き渡すことによって、彼をすべての個人的従属から保護する」(35)

1-8 社会状態について

自然状態から社会状態に移行することによって、人間は正義と道徳性を勝ちとる。

1-9 土地支配権について 省略

 

第二編 

2-1 主権は譲りわたすことができないこと

一般意志のみが国家を指導できる。主権とは一般意志の行使にほかならないので、譲り渡すことが出来ない。主権者は集合である以上、集合的存在そのものによってのみ代表される。というのも特殊意志に縛られた個人が一般意志と一致することは極めて稀だから。

2-2 主権は分割できないこと

意志は一般的かそうでないかだけである。前者の場合は主権の一行為であり法律だが、後者の場合は行政機関の一行為にすぎない。

2-3 一般意志は誤ることができるか

一般意志は常に正しく公の利益を目指す。これは人民の決議が誤らないということを意味するわけではない。一般意志は人民の意志のなかの相殺しあう過不足を除いたものである。一般意志が誤らないためには特定の特殊意志の団体が強くなりすぎないことが大事。

2-4 主権の限界について

社会契約は政治体に絶対的な力を与える。この力が一般意志に指導されたものが主権。しかし、個人の私人としての領域は残る。各人は共同体にとって必要と思われることのみを義務付けられる。

一般意志は特定個人に向かうとき一般性を失う。というのも一般的なものとは「自分とは関係ないもの」ではなく「すべての人が関係するもの」だから。すべての人が拘束されているときに一般意志は正しいものになる。

それゆえ主権者は特定個人にのみ負担を課すということはしない。

2-5 生と死の権利について

死刑について 省略

2-6 法について

社会契約が与えた政治体に運動と意志を与えるのが立法。社会状態にあってはすべての権利が法によって規定されている。法とは全人民が全人民にたいして行う取り決めのこと。それゆえ一般的である。しかし、人民自身はかならずしも正しい判断が出来るわけではない。そこで立法者が必要。

2-7 立法者について

「立法者は、人間から彼自身の固有の力を取り上げ、彼自身にとってこれまで縁のなかった力、他の人間たちの助けをかりなければ使えないところの力をあたえなければならない。」(63)

立法者は異常者である。行政機関(政府)でもなく主権でもない。立法者は立法権をもっていない。そこで立法という仕事には「人間の力をこえた企てと、これを遂行するための、無にひとしい権威」(65)がある。→法文を作成する人くらいの意味?

2-8~10 人民について

法をもつにみあう人民とは。略

2-11 立法の種々の体系について

立法の究極目的は自由と平等。平等とは「権力については、それが、暴力の程度にまでは決して高まらず、またつねに地位と法とにもとづいてのみ行使されるということを、ならびに富については、いかなる市民も、それで他の市民を買えるほど豊かではなく、…」(77)

両極端をさけよ。

2-12 法の分類

全体の全体に対する関係(政治法)と構成員と全体との関係(民法)、刑法、習俗・慣習・世論。このうち政治法が筆者の関心。

 

第三編 

3-1 政府一般について

人間の体とおなじように政治体にも力(執行権)と意志(立法権)がある。後者は人民にのみ属すのにたいし、前者は特殊的行為からなるので、主権者の埒外にある。執行権を果たす代理人が「政府」である。「法律の執行と市民的および政治的自由の維持を任務とする一つの仲介団体」(84)。ただし「国家」と「政府」の関係は様々である。

3-2 政府のさまざまの形態をつくる原理について

政府を構成する行政官の人格には「個人の固有意志」「行政官の共同意志」「一般意志」が含まれているが、それらの塩梅によって政府の力強さ、活動性が変化する。

3-3 政府の分類

民主政・貴族政・君主政の別について。

3-4 民主政について

執行権と立法権の一致した制度。いわば万民が行政官の「政府のない政府」。成立困難であるし、維持困難。

3-5 貴族政について

政府と主権者に別れ、市民にとっての一般意志と行政に携わるものの一般意志に分裂する。自然的なもの、選挙によるもの、世襲的なものがあるが、最も良いのは選挙によるもの。政府の構成員が選ばれる。ただし平等が失われる恐れ。

3-6 君主政について

個人に執行権が託された状態。もっともまとまりのある国家体制だが、それはかならずしも幸福なものではない。さまざまな弊害がある。

3-7 混合政府について 略

3-8 すべての統治形態は、すべての国家に適合するものではないこと

生産物の多寡に応じた政体の変化。人種論ないし風土論。

3-9 よい政府の特長について

よい政府とは「人口が増加してゆく国」の政府である。

3-10 政府の悪弊とその堕落の傾向について

政府はつねに主権に対抗しようとする。これが増大すると国家組織は悪化する。政府の堕落には、政府が縮小するばあいと国家が解体するばあい(アナーキー)がある。

3-11 政治体の死について

政治体は永遠ではない。現実にそぐわなくなった法律を立法権=主権が変更していくことで政治体は維持される。

3-12~14 主権はどうして維持されるか

定期的な人民の集会の必要性。首府をおかない。人民の集会があるところでは政府の裁判権、執行権は停止される。

3-15 代議士または代表者

主権を譲り渡すことはできないし、代表されえない。代議士は人民の代表者ではなく、使用人である。代議制のもとでは、人民の自由は選挙のときしか確保されない。

3-16 政府の設立は決して契約ではないこと

政府とは人民と首長との契約ではない。

3-17 政府の設立について

政府の設立は法の制定と法の執行によってなされる。後者は個別的行為であるので、法ではなく法の続きである。

3-18 政府の越権をふせぐ手段

政府の設立は契約ではなく、ひとつの法である。したがって人民は行政を自らの意思によって変更できる。

それを行うのが定期的な民会。議題:「主権者は、政府の現在の形態を保持したいと思うか」「人民は、現に行政をまかされている人々に、今後もそれをまかせたいと思うか。」

 

第四編

4-1 一般意志は破壊できないこと

どれほどごまかしが横行しようとも一般意志は変らない。投票の権利について考える。

4-2 投票について

社会契約のみが全会一致を必要とする法。一般意志の特長は過半数のなかに存している。

4-3 選挙について

選挙と抽籤。民主政において行政官の仕事は負担であるので、籤で決められる。貴族政は投票が適している。

 

4-4~7 ローマの諸制度

ローマの民会について:民会のおこり

護民府について:法に基づいて行政が行われているか監視する

独裁について:危機にあっては一時的に独裁が許容されること

監察について:一般意思(=世論)に方向性を与える

4-8 市民の宗教について

市民的宗教においても、他の価値観を排斥する人々に対しては「不寛容」が求められる。

4-9 結論