ミシェル・フーコー『性の歴史1 知への意思』(新潮社)

第2章「抑圧の仮説」

第1節:言説の煽動

(まとめ)性の言説は過去三世紀にわたって増殖し続けた。人々は遍在化した、権力主体なき権力によって、自らの性を言説化すべしと強制されてきた。この言説の仕組みはそれ自体として言説を益々増大させていく自走するメカニズムであり、そしてこの言説は人々をして最大のエコノミー的利益に向かって機能させる べく働く。性は危険であるという言説がまた人々をして性を言説化させるべく追い詰めていく。

 

過去三世紀において、「言説とその領域というレベルにおいては」「性についての言説は」「増殖するのを止めなかった」(p26)

「本質的なことは、権力の行使の場における、性についての言説の増大である。性について語ることを、そしていよいよ多く語ることを、制度が煽り立てる」(pp26-27)

「性が直接的に呼ばれることがないようにと人々が細心の注意を払って洗練した言語という覆い=保証の下で、性は、もはや曖昧さも猶予も与えようとしない一つの言説によって、あたかも追い詰められた獲物のように、引き受けられるのである」(pp28-29)

「このような性の「言説化」の企て、それは遥か古に、禁欲的な僧院の伝統の中で形成されていたものだった。それを十七世紀は、万人に適用される規則としたのだ」(p29)

「自分の欲望を、自分のすべての欲望を、言説にしようと努めるべしと」(p29)

「キリスト教司教要綱もまた、結局のところ、欲望を余すことなくしかも執拗に言説化するというただそのことだけによって、欲望に対して特別な効果・作用を生み出そうとしていたのだ」(p32)

「性に言説を、それも多様な作用を持つ複雑な装置に従って、繋いだのであり、その装置の仕組みは、禁止する掟という関係に尽くされるようなものではない」 「そこに設置されたのは、性についての言説を生産する仕組みであり、いよいよ多くの言説を、しかもその仕組の構造化の中で機能し効果をもつような言説を、 ますます多く産出する仕組みに他ならない」(p32)

「この技術は」「本質的に「公共の利益」なのだ」「権力のメカニズムであり、それが機能するに当たって、性についての言説が」「本質的なものとなってしまったそういう権力のメカニズムなのだ」(p33)

「性について、人は語らねばならぬ、語らねばならぬのだ、公に、しかも合法か非合法かに分けてしまうような形でではなくである」「人は性について、単に断罪されあるいは許容されるものとしてではなく、経営・管理すべきもの、有用性のシステムの中に挿入し、万人の最大の利益のために調性し、最適の条件で機能させるべきものとして語らねばならない」(p34)

「国家と個人の間で、性は一つの賭金=目的に、しかも公の賭金=目的になった。言説と知と分析と命令の大きな網の目が、性を取り込むことになったのだ」(p36)

子供の性をめぐる言説、とくにそれについての沈黙は「別の言説が機能するための代償、いやおそらくは条件に他ならなかったのであり、そのような別の言説とは、多様で、錯綜し、微妙に階層構造に仕組まれ、しかもすべてが権力の関係の束を中心に強固に組み立てられたものなのだ」(p40)

「性の周囲に言説を発散し、それが不断の危険という自覚を強化させるが、この自覚がまた性について語ることへの煽動を一層掻き立てるのである」(p41)

「十八世紀以来、性は絶えず全般的な言説的異常興奮とでも呼ぶべきものを惹き起こしてきた」「それはまさに権力が行使されている場所で、その行使の手段として、なのであった」「人々は性を狩り出し、否応なしに言説として存在することに追い詰めるのだ」(p43)

「むしろそこに見なければならないのは、これらの言説が成立する場の拡散であり、それらの形態の多様化であり、それらを結びつけている網の目の錯綜した展開なのである」(p44)

「近代社会の特徴とは、性をして闇の中に留まるべしと主張したことではなく、性について常に語るべしとの使命を自らに課したことである。性を秘密そのものとして評価させることによってだ」(p46)