ジグムント・フロイト『夢判断』(高橋義孝訳:新潮文庫、2005年)

第5章「夢の材料と夢の源泉」

「夢の顕在内容よりもよほど意義重大な潜在内容というものを発見した今、顕在内容しか知らなかったときにはどうにも手がつけられないよ うに思われた謎や矛盾が十分に解決されるかどうかを見るために、夢の個々の問題を事新たに採りあげてみようとしてもむりはあるまい。(p281)

再度、夢記憶の三つの特性(冒頭の章)があげられる。

A 夢の中に出てくる身近なものと些細なもの

*フロイト自身の植物学研究書の夢と分析

「こうして夢内容がさして重要ではない諸体験の残滓を受容れるという事実は、(移動によるところの)夢歪曲と解釈され、夢歪曲は二つの心的検問所のあいだに成立する通過検閲の一結果だということになる」(pp304―305)

≪問題≫

 この時期のフロイトは無意識-前意識-意識のモデルで考えているので、検閲は二箇所で行われていると考えるべきなのか?後年のエス-自我-超自我のモデルではどうなるのか?

命題:「夢の作業にとっては、すべて存在する夢の刺激源を夢の中でひとつの統一体へとまとめあげるという一種の強制がある」(pp307―308)

また、夢源泉になることができるものを四つあげている。

 「いかなる無意味な夢刺激物もない。したがってまたいかなる無邪気な夢もない、以上の命題は絶対的真実である」(p313)

無邪気な夢Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴの分析から、これらの夢の中では、性的要素が検閲を加えられる動機となっていることがひどく目立っている。

B 夢の源泉としての幼児的なもの

「夢の別の一系列の分析によってわれわれは、夢を生み出した願望そのものの充足として夢が存在するところの、その願望自体は幼年時代に由来し、それゆえにわれわれは驚くなかれ夢の中に昔のままにいろいろな欲望をもった子供がずっと生きつづけているのをみいだすのである」(p327)

幼年期の体験の夢Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、Ⅳの分析

≪注意点≫

精神神経症の機制における「あとからの取り戻し」という契機(p349)は興味深い。

 また、Ⅳの夢分析からフロイトは単語の連想観念の系列を分析することを重視し始める。

 C 身体的夢源泉

 三種類の身体的刺激源(序章)について検討すると、これだけでは不十分であることがわかった。

「心的な夢源泉に身体的材料が加わっても、夢の本質=願望充足は変えられない」(pp387―388)

「意識的な自我がそれを指向し、また、夢の検閲および後述する「第二次加工」と相並んで夢をみさせることに寄与しているところの、ねむりつづけたいという願望は、かくてつねに夢形成の動機とみなさなければならない。そしていっさいの成功せる夢は、その願望の充足なのである」(p397)

 ≪問題≫

恐怖が抑圧されたリビドーの表現(抑圧理論)として現れた「不安恐怖夢、という夢理論にはどれほど妥当性があるのか?

 D 類型的な夢

 類型的な夢は関心をひくが、フロイトはここではたった二、三のものしか採りあげない。

(α)裸で困惑する夢

 裸体の夢は露出の夢なのである。(p415)

  願望反対物=秘密と露出夢の関係

  無意識的意図 ⇔ 検閲の要求 

 「精神分析においては、時間的接近から具体的関連を類推する。夢の前後関係とて同じことである(p420)

  説明:a+b→ab(ドイツ語分離動詞の前綴り:離脱などを意味する)

(β)近親者が死ぬ夢

第一は、悲しみを感じない夢。第二は、とても悲しむ夢に分かれる。第二の夢だけが類型夢である。

「夢理論は、その人が―幼年時代のある時期に―その身内のものが死ねばいいのにと願ったことがあるという推論をするだけで満足するのである」(pp424―425)

*有名な『エディプス王』と『ハムレット』の分析

 結論:幼年時代の願望充足

「検閲は、不安恐怖あるいはその他の形式の苦痛感の展開を保護するために行われるのである」(p458)

「夢はすべて極端に利己主義的である」(p458)ことを四つの実例を挙げて分析する。

(γ)試験の夢

 「試験に落第する夢は、われわれが幼年時代に、してはならないことをして受けた罰への消し去りがたい記憶」(p469)