夢野久作『ドグラ・マグラ』(角川文庫版を使用)

夢野久作(1889~1936):本名「杉山直樹」、1889年(明治22年)1月4日、福岡市小姓町で杉山茂丸の長男として生まれる。茂丸は伊藤博文の暗殺を計画し、頭山満と共に右翼結社・玄洋社の機関紙「福陵新報」を立ち上げるなど極右的運動家であったと同時に、帝政ロシアにおいてロシア革命を計画するなど特異な運動家であった。しかし複雑な家系の事情により直樹が実父や実母らと生活した期間はわずかである。中学校を卒業した後、陸軍に二年在籍、その後慶應義塾文科に入学するが、健康上の理由という名目で二年で退学を命じられる。その後日雇い労働者や出家するなど放浪生活を送るが、家を継ぐことになっていた弟の急死により福岡に戻る。父の作った農園を経営し、1918年に結婚するが、農園経営が上手くいかず、新聞社に勤めつつ父の仕送りと妻の内職などで生活する。1926年(大正15年)に「あやかしの鼓」で作家としてデビュー。ペンネームの「夢野久作」とは博多地方でぼんやりして夢ばかり追う間抜けを指す代名詞であり、父の言を逆手に取って自ら命名したもの。1935年に「ドグラ・マグラ」を自費出版するも、この年の7月に父が亡くなり、また夢野久作自身も翌1936年3月11日に脳出血により47歳で急逝した。(以上、社会思想社版「ドグラ・マグラ」の奈良宏志の解説による)

 

著述順の作品構成

1……視点は「私」、場所は九州帝国大学精神病棟

1-A(上巻p5~)……七号病室で「私」が目覚める。隣の六号室から「お兄さま」と呼ぶ少女の声が聞こえる。若林教授登場。

1-B(p77~)……九大医学部精神病科本館医学部長室へ移動。若林教授から正木教授や齋藤教授らの死、二つの殺人事件についてなど聞かされる。

 

2……「私」が読んでいる正木教授の書類。従ってこの書類の視点は基本的に正木教授。

2-A(p138~)……キチガイ地獄外道祭文

2-B(p174~)……地球表面は狂人の一大解放治療場

2-C(p180~)……絶対探偵小説 脳髄は物を考えるところに非ず

2―D(p233~)……胎児の夢

2―E(p264~)……空前絶後の遺言書

2-E-イ(p264~)……正木教授のモノローグ

2-E-ロ(p272~)……活動写真の脚本

2-E-ハ(下巻p32~)……心理遺伝付録

2-E-ニ(p126~)……幕間的モノローグ

2-E-ホ(p129~)……活動写真の脚本

2-E-ヘ(p141~)……正木教授のモノローグ

 

3……第2部と同じ医学部長室。視点は「私」、いつの間にか若林教授はいなくなり正木教授がいる。

3-A(p143~)……正木教授と「私」の対話

3-B(p265~)……正木教授「犯人はおれだよ」、正木教授による正木教授犯人説。

3-C(p325~)……正木教授退場。教授室に一人「私」が残る。

 

4……結末?視点は「私」

4-A(p352~)……走り回ったはずなのにいつの間にか「私」は教授室にいる。

4-B(p368~)……「一切の真相が、氷のように透きとおって、私の前に立ち並んで見えてきたのは……」

 

時系列順の作品構成

大正十三年三月二十七日:千世子殺害さる(下巻p33(2-E-ハ))

大正十三年四月二日:呉一郎談話(下巻p33(2-E-ハ))

大正十四年十月十九日:斎藤教授変死す(上巻p125(1-B))

大正十四年四月二十五日:呉一郎、絵巻物を見る(下巻p87(2-E-ハ))

大正十五年四月二十六日未明:モヨ子殺害(未遂?)さる(下巻p91(2-E-ハ)

大正十五年四月二十六日:モヨ子と呉一郎との婚儀が催されるはずであった(上巻p66(1-A))

大正十五年四月二十六日午後一時:戸倉仙五郎談話(下巻p82(2-E-ハ))

大正十五年四月二十六日夜:若林教授による仮死状態のモヨ子と死体を入れ替える工作が行われる?(上巻p309~(2-E-ロ))

大正十五年五月三日:呉一郎精神鑑定(下巻p129(2-E-ホ))

大正十五年七月七日:呉一郎解放治療場に初めて姿を現す(下巻p133(2-E-ホ))

大正十五年九月十日:呉一郎、解放治療場で「女の屍体」を掘り起こそうとする(下巻p134(2-E-ホ))

大正十五年十月十九日午前中:呉一郎、解放治療場に出てくる(下巻p138(2-E-ホ))

大正十五年十月十九日正午:解放治療場で呉一郎が五名の男女を殺傷する事件が発生(下巻p159(3-A)、下巻p357(4-A))

大正十五年十九日午後九時~十時頃:正木教授、「空前絶後の遺言書」を執筆開始(上巻p264(2-E-イ))

大正十五年十月二十日:正木教授と「私」が教授室で出会う(下巻p150(3-A))

大正十五年十月二十日:「私」が絵巻物の最後の記述を発見(下巻p342(3-C))

大正十五年十月二十日:正木教授、絵巻物の最後の記述を読む?(下巻p370(4-B))

大正十五年十月二十日午後一時:正木教授、遺書を書く(下巻p367(4-A))

大正十五年十月二十日午後五時:正木教授の溺死体発見さる(下巻p357(4-A))

正木教授没後:「ドグラ・マグラ」一人の若い大学生の患者により書かれる(上巻p88(1-B-イ))

大正十五年十一月二十日:「私」が若林教授と会う(上巻p34(1-A)、上巻p132(1-B))

 

解けない謎

・「私」とは誰なのか?

・「今」とはいつなのか?

・若林教授は何をしたのか、しているのか?

・どこまでが偽でどこまでが真なのか?

・ドグラ・マグラの作者とは誰か?