ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』(ちくま学芸文庫)

第2章:様式の地位 The Status of Style

 

この論文の目的: 「私の目的は、様式をなす特徴に手の込んだ厳格な分類システムを押しつけることではなく、広くはびこっている教条の窮屈な束縛から―様式と主題、形式と内容、『何』と『いかに』、内在的と外在的といった、誤解を招きやすい対立から、様式理論を解放すること」(p.69-70)

 

1.定説への異議

“主題=語られたもの、様式=語り方”という定説は欠陥だらけである。

 

【以下の論考の構成】

様式というものが、作品を構成する他の要素と明確に区別できるものでありながら、以下のような対比関係で定義できるものではないことを、作品の構成要素との関係で順番に論じる。

A

主題subject=What is saidとの関係

語られるもの(主題)は語りかた(様式)を規定することがあるが、主題のあらゆる側面が語り方を規定するとは限らない。

語られたもののいくつかの特徴だけが様式の側面に数えられる。

B

感情sentiment=What is expressed(表出)との関係

様式は表出されたものにも感じにも限定されない。」しかし同時に「作品が表出するものは、しばしば作品の様式の主要な要素である。」

表出は先にとりあげた「主題」の次元とも相互作用を起こす。

C

What is exemplified(例示)との関係

(この項でヘッディングの「構造」に関する議論は一段落で完了してしまっている)

例示とは作品が自らの諸属性を指示する働き

D

署名との関係

 

2.様式と主題

「様式を内容から区別するのに必要なのは、正確に同じことがさまざまな仕方で語られうるということではなく、語られたものと語り方とは連動しない可能性があるということにすぎない。」(p.57)

「〔・・・〕しばしばまったく異なるものごとがほとんど同じ仕方で―もちろん同じテキストによってではなく、様式の要素である一定数の特性を共有した複数のテキストによって―語られうる・・・」(p.57)

「主題の違いによる様式の違いは、単に語られたものが同じでないという事実からは生じない」(p.59)

「様式は主題の問題だと言うことは、それゆえ曖昧で誤解を招きやすい言い方だ。むしろ、語られたもののいくつかの特徴だけが様式の側面に数えられるのである。」(p.60)

「形式と内容を区別することが難しいといって思う煩う必要はない。というのも、内容と形式の区別が明らかな事例である限り、この区別と様式と様式でないものという区別とは、 一致しないで交差するからである。様式は、語られたものと語り方、主題と言葉遣い、内容と形式―これら両面にそなわる一定の特徴から成る。様式を成す特徴と成さぬ特徴との区別は、こうした区別とは別の根拠に基づいて引かねばならない。」(p.62)

 

3.様式と感情

定説「様式一般は、このような(他の例でははるかに微妙な)表出された感情の質から成る」(p.61)

しかしグッドマンは「様式をなす属性には情動に関するものもあり、そうでないものもある」(p.61)としてこの提案の限界を指摘する。

では感情を「感じfeeling」としたらどうだろうか?「情動をあらわさず、かつ様式をなす属性は、それぞれ特有の感じをもつ」、「様式の諸側面として重要なのは、こうした感じの伝達手段ではなく、まさにこうした感じなのだ。」(p.62)

しかしグッドマンは、この定義では作品の他の構成要素から様式なるものを区別することはむずかしいと指摘する。「他のあらゆる特徴も―いやそれどころか、あらゆる語、あらゆる語のつらなりも、そうした質を持つのではないか」(p.62)

グッドマンの反論はさらに続く:「様式は表出された感じであるという定義は、感じでもなく表出もされない構造的特徴を無視するだけでなく、感じではないが表出された特徴をも無視するという点で失敗している」(p.63) 【ここで挙げられている例での「表出されたもの」とは?他の例は?】

参考:グッドマンの言う「表出」=「表出されたものとは、暗喩的に例示されたもののことである。悲しみを表出するものは暗喩として悲しいのである。さらに暗喩として悲しいものは実際に悲しい感じを与えるが、文字通りに悲しみが書かれているのではない。」(Languages of Art p.85)【したがって悲しみの表出というだけでは様式は規定できない】

 

グッドマンの結論「様式は表出されたものにも感じにも限定されない。」しかし同時に「作品が表出するものは、しばしば作品の様式の主要な要素である」(p.63)

さらに表出は先にとりあげた「主題」の次元とも相互作用を起こす。「語られたもの、その語られ方、表出されたもの、その表出のされ方は、すべて緊密に結びつきながら様式に寄与するのである」(p.65)

 

4.様式と構造

文の構造、リズムのパターン、反復や対照

「語られたものや表出されたものの属性以外の様式上のすべての特徴が、「形式的」あるいは「構造的」であるとは〔・・・〕かぎらないのだ。」(p.66)

では、様式のうちのこういう属性はどのように定義されるか?

どうも構造の話はここで済んでしまっているように読める。ここからは例示の話へ移っている。

 

モデル1:

テキストや絵が外延指示や表出によって指示するもの=外的属性

テキストや絵に内在的/内的なもの=内的属性

しかしこの分類はグッドマンによってリジェクトされる。

そして「少なくとも確かなのは、テキストが語るものあるいは表出するものも、他ならぬテキストの属性だということである。他方、テキストがもつさまざまな属性が語られたものや表出されたものとは別にあって、それらには封じ込められていないのだ。」(p.66)というところから問いを再開する。

 

モデル2:

作品がなすもの(What a work does)=語る、あるいは表出するための属性

作品がそうであるもの(What a work is)=上記に封じ込められていない属性

しかしこのモデルもグッドマンによってリジェクトされる。それは以下の理由によりこの2つを明確に分けることが不可能であるため:

1)表出するための属性は、その作品がそうであるような属性でもある。「憂鬱を表出する詩や絵は(暗喩的に)憂鬱である」(p.67)

2)そうであるものの属性は、あるものを表出する働きも持っている。それは自身を見本として提示する働きでありこれをグッドマンは例示と呼ぶ。「作品のいわゆる 内在的な様式の特徴は、決して単に作品が所有するだけでなく、それが表明し、示し、例示するような属性のひとつである」「表出も例示も、あることと同時になすことの問題であり、属性を所有することおよび属性を指示することの問題である。」(p.67)

「様式をなす特徴とは、構造上のものであろうとなかろうと、作品によって文字通りに例示された属性全部なのである。」(p.67)

主題、感情、構造という関係の検討の結果として、

「様式がそなえる特徴には、語られたもの、例示されたもの、または表出されたものの特徴が含まれるであろう。」(p.68)

 

5.様式と署名

「ある作品が一定の様式をそなえる場合、その作品の主題、形式、感じのあらゆる側面のうち、ある種のものだけがその様式の要素なのである。」(p.70)

署名との関係で考慮すべきこと2つ:

1)「ある属性―なされた言明、展示された構造、伝えられた感じ、このいずれの属性であるかは問わず―が様式をなすものに数えられるのは、それが作品をある決まった芸術家、時代、地域、流派などに結び付けるときにかぎられる。」(p.70-71)

2)「作品の作者、時代、由来を決定する一助となる属性のすべてが、様式にかかわるわけではない。」(p.72)

「配列への全力集中、湾曲したフォルムの独特な仕上げ、ほろ苦い感じの微妙な質などといった典型的な様式上の特性は、そのピアノソナタ、絵または詩が、表出し、例示し、語っているものの側面をなしている。様式は作品そのものの記号としての機能にもっぱら関係する。(Style has to do exclusively with the symbolic functioning of a work as such.)前にわれわれは、そのような記号機能の側面のいずれもが様式の要素であることをみたが、今やそのような側面だけがその要素であることを認めるのである。」(p.72-73)

「こうして、様式の定義の輪郭が目前に浮かび上がる。様式は、基本的には、作品の記号機能のうち、作者、時代、場所または学派の特性を示すような特徴から成るのである。もし この定義がきわだって新しく見えないとしても、現在はびこっている見解とそれがたもとを分かつ点を見逃してはならない。この定義に従えば、様式とは単に 「何」と対照された「いかに」の問題ではない。様式は、たがいに同義な選択肢にも選択肢のあいだの意識的選択にも依存しない。様式には、作品が記号として 表現するものとこの表現の様態とにそなわる一定の側面だけが含まれるのである。」(p.73)

「重要なのは記号として表された属性であり、芸術家がそれを選ぶかどうかとか、自覚するかどうかさえ関係ないのである。」(p.74)

では様式を成す属性とそうでない属性はどのように区別されるか?

問題は様式を成す属性の中には、重要な属性と重要でない属性の両方が含まれることで、こうなると、重要ではないが様式を成す属性と、もともと様式を成す属性ではないものとの区別は難しい。

しかしグッドマンが提唱する定義を使えばそれができる。

例えば「ある作家が書く文の二番目の語は通常の割合より多く子音で始まっている」(p.74)という属性が、様式を成す属性とは言えないのはなぜか?「なるほどこの属性は事実、問題の小説群に属しているのであって、それを手掛かりに、それらの小説を特定の著者によるものとして同定することすらできる。作品としての小説novelsは、この属性を例示すること、あるいは記号として表現することがまずないのである。」(p.75)

 

6.様式の意義

様式概念は「文学史家あるいは美術史家の単なる道具」なのか、それとも「美学上の意義」をもつのか?

「こうした問題の立て方は誤解を招きやすい。それは作品の同定が美学とは無縁の仕事だということ、芸術家、時代、場所あるいは流派の「単なる」同定は美学にとり重要ではないということ、歴史学とはまったく独立したいとなみであることを仮定している。」(p.77)

「ここでほんとうに問題となる問いは別のものである。それは、様式をなす属性は、作品同定を助ける様式をなさぬ属性にくらべて、いっそう直接的な美学的意義をもつかどうか、という問題なのだ。」(p.78)

もちろんグッドマンの答えはYesである。

「美学に関する限り、作品同定は様式の知覚の準備であり補助であり副産物である。歴史学と批評が異なるのはそれぞれの主題が別であるとか、それぞれの仕事が無関係であるという点ではなく、目的と手段が入れ替わっている点なのである。」(p.78)