C. グリーンバーグ著 藤枝晃雄 編訳『グリーンバーグ批評選集』勁草書房、2005年

第1部 文化

1.アヴァンギャルドとキッチュ(1939年)pp. 2-25

 Ⅰ……社会の変化に伴う既成概念の変化、アレクサンドリアニズム、これを克服しようとするアヴァンギャルド、19世紀のアヴァンギャルドの発展史、絶対の探究(模倣の模倣、制作するミディアムとの関係、アヴァンギャルドの支配階級への依存)

 Ⅱ……キッチュとは(産業革命の産物、無産階級や小市民向けの気軽な気晴らし、伝統からの借用、民衆文化を一掃する性質、芸術以外の分野における価値基準の導入、反省という契機の無さ)

 Ⅲ……支配者と大衆の社会的距離

 Ⅳ……芸術享受の要する「条件づけ」、デマゴーグにおけるアヴァンギャルドとキッチュ

 

2.さらに新たなるラオコオンに向かって(1940年)pp.26-47

 Ⅰ……支配的な芸術形式(17世紀ヨーロッパではそれは文学であった)、これへ他ジャンルの芸術が自らのミディアムを隠して従属すること、絵画と彫刻の文学志向、レッシング『ラオコオン』

 Ⅱ……ロマン主義におけるミディアムから逃避する傾向

 Ⅲ……ロマン主義は1848年までに燃え尽きた、アヴァンギャルドへ、アヴァンギャルドは思想からの逃亡を必要とする、そうして文学の支配に反逆する、クールベ、印象主義

 Ⅳ……アヴァンギャルドの第二の変形(さらなる模倣)、音楽の優位(「純粋形式」の芸術として)、感覚的なもの

 Ⅴ……純粋性の探究、独自性のためにミディアムを、純粋詩の理論、造形芸術のミディアム、アヴァンギャルド絵画のミディアムへの屈服の歴史、キュビスムによる戯画化

 Ⅵ……新しい基準へ

 

3.モダニズムの起源(1983年)pp.48-60

 モダニズムは歴史的であり、なおかつ開始地点をはっきりと言い当てることが困難である。これは異なる時期に異なる芸術において、フランスで出現した。最 初はフランス文学である(当時の記録ではゴーティエ、ゴンクール兄弟)。自然主義、芸術史上主義(フローベール)、そしてボードレールが最初の鍵である。 また現象としては、1860年代初めのマネの絵画である。綱領ではなく技術で示された。「あらゆる芸術において、そのミディアムに起こったこと、私はこれ こそがモダニズムの起源を確定するのに最も重要であると考える」(p.52)。文学におけるミディアムだけを取り出して考えることは労を要する。それに対 して絵画のミディアムは容易に孤立できた。マネの刷新欲求は切迫していた。問題は、何故モダニズムによる刷新は、衝撃的にして挑発的だったのか。「伝統の 委譲」という事実が、モダニズムによる刷新に対する抵抗の説明となるかもしれない。過去にあった委譲とは、例えば紀元四世紀六世紀の間の、ギリシャ・ロー マの絵画芸術が、ビザンツ帝国の芸術に変化させられたことである。これは新しい伝統の進展の始まりであった。モダニズムの場合の委譲もまたそうであるかど うかは、議論の余地がある。

 

第2部 美術

1.モダニズムの絵画(1965/1978年)pp. 62-76

・モダニズムには自己批判の傾向がある。「モダニズムの本質は、ある規律そのものを批判するために[…]その規律に独自の方法を用いることにある」。(p. 62)カントが論理に対して行ったのと同様に。

・芸術の自己批判とは、別の芸術のミディアムから借用されているとおぼしき効果を、除去することだった。そうして絵画芸術に残ったのは、「支持体に不可避の平面性を強調すること」(p.65)だった。

・絵画のモダニズムは、絵画における、三次元空間のイリュージョンと平面性の関係を逆転させた。

・さりとて、「再現つまり図解することそれ自体が、絵画芸術の独自性を減ずるのではない」。(p.66)それに、「伝統と伝統的なテーマを存続させていることを正に示している」。(p.67)

・マネと印象主義により、純粋に視覚的な経験が問題になった。

・「[絵画の枠の基準に対する]単純化も複雑化も好き放題にできるものではない」。(p.69)

・「絵画平面における感性の高まりは、[…]視覚的なイリュージョンは許容するし許容しなければならない」。(p.70)

・厳密に視覚的なものを追うと、科学的方法に接近する。

・モダニズム芸術の自己批判は、自然発生的、潜在意識的に行われてきた。それに、過去との断絶を意図するものでは決してなかった。さらには、理論的なを提起しているのでもない。

 

2.イーゼル画の危機(1948年)pp.77-81

 ・「イーゼル画の本質[…]は、芸術家が装飾的なパターン形成のために空洞の本質を平らにならして、平面性と正面性によって作品の内容を組織するという程度まで妥協されていくことになる。」(p.77)

 ・オールオーヴァで「非中心的な」「多声的な」絵画…ホアキン・トーレス‐ガルシア、マーク・トビー、ジャクソン・ポロック、等。

 

3.コラージュ(1958/1959年)pp.82-101

 ・コラージュのはじまり…「キュビスムにおいてブラックとピカソが、再現とイリュージョンの技芸としての絵画を維持することに関わっていたのは疑いな い。しかし最初彼らはキュビスムにおいて、またキュビスムを通じて、厳密に非彫刻的な方法によってな効果を得ることに、より決定的に関心を抱いていた。

(p.83)

 ・コラージュとは…「貼付された紙や布はほんの少しの間、そのより強い物質的存在性や、そのより強い異質性によって、模造印刷文字や模造テクスチュアの 時以上にはっきりとした奥行のの中に他の全てを押しやる働きをする。しかしここで再び、表面を宣言するその仕掛けはその目標を通り越し、またその目標に達 しもしない。というのは、貼付された物質とその他の全てのものとの間の対比が生み出す奥行のイリュージョンは、すぐに低浮彫状の形状のイリュージョンに 取って代わられ、そして次にはそれは同じくすぐに、両者を含む―あるいはどちらも含まない―ように見えるイリュージョンに取って代わられるからである。

(p.89)

 

4.新しい彫刻(1949/1958年)pp.102-110

 ・提案…「彫刻―この長らく威光を失っていた芸術―は、絵画では有り得ないかたちでモダニズムの「還元」から多くのものを得ているのだ」(p.103)

 ・かつての彫刻…「彫刻はあるがまま、無媒介的と、思われたのだ。」(p.104)

 ・キュビスムの影響下…「彼[ブランクーシ]の手掛けた木彫は、キュビスムの影響下に、モノリスを解き放ち始めた。[…]それ[新しい種類の彫刻]への真の道は、彼ではなくキュビスムのコラージュによって開かれたのである。」(p.105)

 ・「新しい彫刻は、彫刻されるというよりはむしろ構築、建造、集積、配列される。こうしてこのミディアムは新たな柔軟性を獲得した。そしてこの柔軟性に、私は、彫刻が絵画よりもいっそう広い表現の幅を獲得する機会を見出すのである。」(p.106)

 

5.「アメリカ型」絵画(1955/1958年)pp.111-140

6.抽象表現主義以降

7.ポスト・絵画的抽象

8.「フォーマリズム」の必要性

第3部 芸術家

1.フィラデルフィアにおけるマネ展

2.セザンヌ

3.七十五歳のピカソ

4.マティスの影響